下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

いまの常識が非常識になる日

今の常識が非常識になる

今の常識が非常識になる日

先の戦争で国民の価値観や常識は手のひらを返すようにひっくり返りました。

これほどまでに、世の中が変わるとは誰も予想できませんでした。

 

昭和の頃の人に、日本の男性がヒゲをはやしだすとは、だれが予想できたでしょうか。

他国を軍事力で奪いに来る国が現れるなんて、誰が想像できただろうか。

世界中に広がる感染症が発生して、パンデミックを起こすなんて誰が予想していたことだろうか。

 

いま我々が常識だと信じているものは、明日は非常識に変わることがあっても何ら不思議ではないのです。

日本の失われた30年が終わり、少子高齢化もデフレも逆転するかもしれません。

学校や公園に子供が溢れ、物価高騰や賃金のアップががあたりまえになるかもしれません。

昭和の時代は自民党経団連が一緒になって、労働者の賃金を抑えていました。
組合の要求どうりに賃金を上げたら企業の経営が成り立たなくなるからと言いながら。

ところが今はどうでしょう。

 

まさか、経済界と自民党がおのずから、働く人たちの賃金を上げようという声を上げるとは思いもしませんでした。

いったい誰が昭和の時代に想像できたことでしょうか。

このように、今までの考え方は変わるのです。

 

いまは「ガチャ」と言う販売機があり、言葉にもなっています。

日本の「おまかせ」という言葉がよそで流行っているらしいと聞きます。
日替わりランチみたいなものとも言えるでしょう。

客は注文内容を要求しないで、店舗に丸投げする仕組みだと思います。
ガチャだって、何が出てくるかわからないものです。

 

自分たちからこんなものがほしいと要求しないで、与えられるものに喜び納得するのです。

政治では、国から与えられた政策を受け取ってそのまま利用するのです。

なんの要求もせず、与えられるままに従うのです。

今の若者は、生まれたときは自由も平和も空気みたいにあるから、特に意識する必要に駆られることはない。

 

でもそれらがやがて、変化しだしこれまでの常識が非常識になるのです。

いまシャツの裾はベルトを通したズボンの中に入れるという常識が非常識になりました。
でも、また常識になるかもしれません。

 

何が言いたいのかわかりませんが、これまで持っていた常識は、簡単に非常識に変わるということです。

それには、何事もあまり決めつけないで、柔軟な考え方が必要になるのかもしれないのです。

男と女でさえもキッチリ分けない時代になりそうです。
雇用も流動化してきて、どうゆう働き方がいいのかも決めつけられない。
AIが進むと、幸不幸さえもよく解らなくなるかも知れません。

結論は出ませんので終わります。