下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

ざれごと


前回投稿した小型家電のことです。
ざっと調べてみたら、ポストの投入口のサイズはヨコ30cmタテ15cmのところ。
ほかはヨコ20cmタテ10cmのところの二種類のようでした。
自治体によって少し違うようです。
どっちにしろ「小型家電」ですので、あまり大きなものは受け付けないようです。

話は変わって、ちょっと思ったのですが、英語ってアルファベット24文字しかないですね。
それに比べて今や日本語って、ひらがな、カタカナ、漢字、いまはABCのアルファベットまで使ってますけど。

この格差にはどんな違いや意味があるんでしょうか。
ちょっと同じ言語と言語の比較としては違いすぎませんか。
たった24文字の言語と、ほとんど無限大の文字数の言語とが同じ役割をはたせるのでしょうか。

口頭でしゃべることではそんなに開きはないでしょうけど。
印刷物やネットの文字表現からすると、とても大きな開きがあるはずですが。
英語でもよく見受けるのが、単語の頭文字を拾って表現していますけど。
GDP、CIA、WHO、SNSなど無限に存在します。
ということは、英語圏の人はそれらの意味を掴んでないと理解できないでしょう。
日本語が漢字や熟語をみて理解するように。

それでも、表現手段の多いほうが言語として優れていると思いますけど。
ただ、覚えるまでが大変でしょうけど。

日本語も時代によってかなり変わってきています。
昔の人はほとんどひらがなと漢字で表現できていたと思います。
それが、外来語が日本に入ってきて、それをカタカナで表現するようになってきた。
挙句は、外来語でないと表現ができにくくなった。

例えば、「バイクに乗るときはヘルメットをかぶるんだよ」それを日本語でいうと。
「単車に乗るときは鉄かぶとをかぶるんだよ」なんて今は誰も言わないし使わない。
このように、今はカタカナ英語で表現したほうがわかりやすくなたものがかなり多い。
そんな文章の中にWindowsとアルファベットで表現したほうが直感的にわかる。
そうなると、日本語のほうが言語としては勝っていると思うのですが。

それでも、英語は共通語としても学術的にもスタンダードであることは間違いない。
表現手段は日本語のほうが優れていたとしても、難しすぎるということなのか。
そのうちに、AIやテクノロジーが発達しても、言語の壁を取り除くことは不可能なのか。

未だに使ったことはないけど、翻訳機はどこまで使えるのか知らないけど。
文学の分野まで翻訳できるのだろうか。
俳句や詩はどうなるのでしょうか。

とりとめもなく、またイラン事を考えてしまったようです。
終わります。