下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

ざれごと

きょうも病院に行ってきました。
病院と言っても耳鼻咽喉科のことで、自分じゃなくむすめの治療です。
むすめはガンサバイバーですので、今は三箇所の病院にかかっています。
送迎はマニュアルシフトの軽トラックを僕が運転しています。
今日は駐車場が空いてなかったので、道路脇でおろしました。

そのまま僕は久しぶりに図書館に行ってきました。
単行本を途中まで読んで、そろそろ迎えの時間かなと思って出ようとしたら、入口に廃棄する図書が何冊かあったので、もらってきました。
かなり古い本で、「科学ってこんなに面白い」という本を選びました。

暇なときに、ときどき時間つぶしで読んだらいいかなと思ってもらってきました。
車に帰ろうとしたときに、むすめから迎えに来てと連絡がありました。

以前、離れたところに暮らす姉から聞かれたことがありました。
「〇〇ちゃんって(むすめのこと)軽トラに乗るのを嫌がらないの?」
そう聞かれたことがありました。
独身の若い女性が一番迎えに来てほしくない車、No1 が軽トラです。
だってうちには、この車しか無いから、仕方ないし。

むすめももう、高校生じゃないし、知り合いに会うこともないから。
そんなに気にならないと、答えてくれています。
それにうちは貧乏だから、税金なんて何十年も払った記憶はありません。
確定申告とかふるさと納税とか意味も知らないから関係ないし。

男親一人で三人の子供を育ててきたから貧しい家庭でした。
三人の子供はみんな不登校になったし。
仕事場が閉鎖されたのは、小泉純一郎竹中平蔵の頃。
民間にできることは民間に、郵政民営化、米国の要望で米国の資本が日本に入ってきた。
失業中、ハローワーク職業訓練は月10万円の支給でした。

国民健康保険は4人分だから半分以上がなくなりました。
自民党政権時代の父子家庭の子供には、児童扶養手当はありませんでした。
警備会社で働くために免許をとりました。
朝から晩まで立ち仕事、このとき初めてドラッグストアーでUVクリームを買って顔に塗りました。
しかし、若いえこひいきをする上司とトラブってやめました。

それから年齢も高かったので、仕事も見つかりにくく履歴書もたくさん書きました。
ある、老人介護施設に面接で行ったら、三人の子育て中の僕を不憫に思ったのか、何の介護の経験も資格もないのに採用してくれました。
長くなりそうなので端折りますが、その施設長もオーナーとうまく行かずに辞めることになりました。
すると、残された私への風当たりも強くなってきて、退職するように言われました。
退職させるには、文書でその理由を書いてくださいと願い出ました。
すると、退職はさせられないことになりました。
しかし、私の仕事の代わりをする新人の人が入社してきました。
バカバカしくなったのでやめることにしました。

すると、自分からやめることになるので失業手当の支給が遅れることになる。
新人を入れて私を追い出したのに、おかしいと思ったのですが聞き入れませんでした。
だんだん愚痴っぽくなってきたので、このへんで終わります。