下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

ねぼけた、たわごと。

僕のうちがまだ家族5人そろっていた頃。
お隣のお家は、お年寄りのおばあさんがひとりで住んでおられました。
それと反対側の土地は、宅地でしたがまだ空き地のままでした。
だから、子どもたちは、そこで自転車の練習をしたりと、遊び回っていました。

その後、家内が亡くなってからしばらくすると、お隣のおばあさんも亡くなりました。
それから、空き地で遊び場だった場所にも新しいお家が建ちました。
でもその家主もおばあさんで、やがて認知性を患ったらしく介護施設に移ったようです。
だから、僕がひとりで3人の子供を育てているときは、どっちも空き家でした。

それからだいぶ経った頃、空き地に建ったお家を、新しく買われたのか。
子供連れの、若いご夫婦が越してこられました。
すぐに、新しくお隣に引越しましたと挨拶に来られ、粗品ですとソープをいただきました。
僕は、何か地域でわからないことがあったら、何でも構いませんので遠慮なく聞いてくださいと、答えて挨拶しました。
そのとき、一緒に回って来られた地域の係の人もいましたので、たぶん話しておられたのでしょう。
あのお隣さんは、母親が亡くなり、男手一つで3人の子供さんを育てたうちですよと。
だから、私のうちは少し興味のあるお隣さんとして印象付けられていたかもしれません。

これまで男ひとり親の家庭だったので、近所に何かをあげたり、もらったりという交流はありませんでした。
それが先日、引っ越してきた家の若いお奥様がうちを訪ねてこられました。
これ、先日家族でどこどこに出かけたので、つまらないものですがとどうぞと。
えっこれって、そうか、近所付き合いなんだ、ついに始まってしまった。

でも、うちには母親がいないし、ほとんど遠出したこともないし、お土産なんて買ったこともないぞ。
わざわざ、近所づきあいのために何かを買うのも変だし。
うーん困ったなあ。
そうだ、春になると親戚から少し多めの農産物が届くから、それにしよう。

それまでお返しはナシでもいいかな。
ということで、お返しはその時まで保留することにしました。

話は変わりますが、以前のブログで、日本はどうして、近隣の国に出かけて処理水の説明をしなかったのだろうか。

我が国は地震津波原発事故が立て続けに起こりとても困っています。
そこで、できるだけ迷惑にならないように、処理水は対策をこうじて少しずつ薄めて放流する方法を取ります。
もし心配なら、そちらで検査をしてもらってもいいですと、このくらい説明できなかったのでしょうか。

もし説明しようとしても、門前払いされたのでしょうか。
ご近所とは、できるだけ摩擦が生じないようにするべきでしょう。
これから、中国は様々な困難が訪れるかもしれません。

ご近所さんなら、笑っていないで上辺だけでもいいから言うべきでしょう。
なにか困ったときには、できる範囲で何でもお手伝いしますからと。

日頃の交流が外交力となって、敵対心を持たないように配慮するべきではないでしょうか。
もし、海産物の禁輸でもうまく説明が伝われば、これまで通り漁師さんたちの心配もなかったかもしれないし。
習近平氏だって、人民ができるだけ幸せに暮らせることと、目的は一緒でしょう。
ただ、手段が大きく異なるわけで。
首脳同士の最高目的は同じだから、相手の苦労もわかり会えるはずです。

疑心暗鬼が拡大しないように、理解を深めてゆくことが近所付き合いです。
幸いなことは、日本を訪れた外国の人は日本の優しさに触れるみたいです。
日本人が差別をするような話はほとんど耳にしません。

むかし中国で大きな地震があったとき、日本の救難隊が整列して遺体に対して黙祷敬礼をしました。
その映像が流れて、今まで日本人を鬼子と思っていた人々が驚いた記事がありました。
国民同士は旅行でもなんでも交流すればわかり会えるでしょう。
政治の手段は違っても国民の目的は同じだから、理解できないはずはないと思います。
お互いの努力が必要でしょうけど。

たわごとでした。