「嫌われる勇気」、という本を娘が読み終わったと持ってきた。
そういえば、なんか聞いたような本だなあ。
調べたら、大ヒットベストセラーらしい。
パラパラッと中身を見てみました。
こんな本がいまのベストセラーなんだ。
ということは、みんな苦しんで悩んでいるのか。
ワラにもすがりたい、までなくても、もっと楽に自由に生きたい。
そう思っている人が多いのかな。
僕も働いている頃は、ずっと昔のことですが、同じだったような気がする。
若い頃は、苦しくて辛いことが多かったような気がする。
その理由となる核心は、やっぱり人間関係が大きかったような気がする。
職場には好きな人もいたし、嫌いな人もいたし。
嫌いな人とも付き合わなければ、仕事はできない。
自分を偽ってでも、合わせなければならないこともあったかも。
そんな人にとって、この本は読んでみようと思える本なんだろうなあ。
僕も過去を振り返ると、いまでも嫌な思いをすることがある。
やっていない事象について、僕が上司から疑われて、調べられたこと。
公に調べたわけではないが、直属の上司が僕の周りを嗅ぎ回ったこと。
そのときは、トップである上司が、僕を疑わなければならない理由があった。
その理由は、僕が一人で子どもたちを育てなければならなくなったことに由来していた。
新しい上司は、僕が今の職責において、そのポジションにとどまることことをよしとしなかった。
僕はそのことについて、当然のことだと理解していた。
二人の子を幼稚園に預けて送り迎えをする必要もあったりしたから。
だから、上司は僕のポジションに他の人を置いた。
そして僕は、降格まではなかったが異なる職場に追いやられた?
そして、その後に僕が前にいた職場で大きなトラブルが発生したのです。
だから、その新しい上司はそのトラブルの原因は僕にあると疑いをかけた。
ややこしくて解りにくいかな。
僕に疑いをかけた上司は、僕と長く仕事をしてきた人ではなかった。
うちの会社組織は、トップが定期的に入れ替わる仕組みだった。
親会社で要らなくなった人が、下請けに回されてトップになる。
だから、信頼関係も築かれることもなかった。
業績などに問題があると、月に一度くらい、会議で顔を合わせるくらいでしたから。
だから、僕を左遷?せざるを得なかった上司であるトップが、僕を疑ったのも頷けるのですけど。
でもいまは、人を疑わなければならない仕事にあった彼を許せます。
いまごろ彼にとっては、ちっともそんなことは、感じてもいないし、とっくに忘れているだろうけど。
疑われたほうは、なかなか忘れられない。
また話が飛んでしまったけど、やっぱり人間関係というのは難しい。
いま年をとって、ほとんど一人で生活しているわけだけど、ありがたいと思います。
はからずも、娘がガンサバイバーになってしまって、いま一緒に住んでいます。
身内というのは、自分の子供であるので、僕は何一つ不満も不自由もない生活を送っています。
でも、ひょっとすると、娘のほうは父に対して言いたいことがあるのかも知れません。
でも身内というオブラートでくるまれたような生活は贅沢なものです。
年も大きく離れているので、適当な距離を取りながらうまく生活しています。
いま一生懸命働いている人たちも、やがては老いて振り返って思うことがあるでしょう。
そのとき、どう思うのかは人にとって異なるでしょうけど。
全てを許せるような年のとり方が、あなたを幸せにするかもです。