下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

資本主義社会と権力

芸能人たちの間で少しは名の売れた芸人たちが安倍政権のどこが悪いのかわからない、などと政権を擁護している記事がニュースなどで流れている。

これは、すべてのことで言えることだが、いま現在この社会の中で恵まれている人、例えば高収入を得られている人たちは、いまの体制が変わってほしくないと思うのは当然でしょう。

だから、できるならどうにかして、いまのまま、体制が変わることを防ぎ、続いていってほしいと思うのは芸人であってもなんら不思議ではない。

反対に、今の社会の中で苦しい思いをしながら、どんなに働いても辛くて貧しい生活を送っている人たちもいる。そうゆう人たちにとっては、どうにかしていまの体制が少しでも変化して欲しいと思うのも理解できる。

次第に格差が拡大して、裕福な人や資産をより多く持っている人に、より多くの資本が流れるのが今の社会体制である。 もちろん、これが資本主義社会である事実は変わらないわけだが、少しでも体制が変わって貧しさで苦しんでいる人が、わずかでも生活しやすくなって欲しいとは思う。 これも、まるっきりわからない話ではないが、しかし、中には自己責任論で片付けたい人たちも少なからず存在している。

それだけではなくて、なかには自分自身の経済的な理由だけで判断せずに、何が正しくて、何が正しくないのかという判断をしようと努力している人もいるのではないだろうか。

その正義という判断は極めて難しいが、いくら法律を犯していないとは言え、やはり権力を持ったものは、疑われるようなことをするべきではない。

ひとりの人間として尊敬を集めるような人格を持った人が、これまでの政治家には何人かいたと思う。 そういった政治家は自分の中に哲学を秘めていた。 彼らは世界のどんな首脳とであっても、人間と人間として何かしら深いところで、お互いが尊敬できるものを得ていたように思う。 上辺だけの、見せかけの関係ではなかった。 例えば、大平元総理とカーター元大統領のように、二人の間には深い人間関係が築かれていたように思う。

決して、自分の意見だけを述べるだけで、相手の人の立場まで理解しようとしなかった政治家はいなかった。 そして、いつでも扉は開かれているなどと、うそぶいているような政治家もいなかった。

公平さというものの意味がわからず、卑近な自分に近いものだけに自分の権限を使って利益をもたらすという行為。それに、なんの疑問も持たない人間は、やがて寂しい人生を送るような気がするが、どうか危惧であってほしいものです。