下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

Nスペ、三島由紀夫50年目の”青年論”

今日はNHKスペシャルの三島由紀夫50年目の”青年論”
を見ました。
これまでの私は文学少年、文学青年、文学壮年ではなかったので、彼の本は一冊も読んだことはない。
だから、このNスペの番組情報で知ったことだけで記すが。
見終えて思ったのは、多分私の考えと最も離れたところにいる作家だったんではないか。
ということです。
私も彼と同じように、小さい時は決して体の強い子供ではなかった。
どちらかというと、ひ弱な体力の子供だったはず。
そこまでは同じだけど、それ以降、そのことを恥じたりする考えは持たなかった。
まさか、自分の体を筋肉質にしたいとか、お神輿の担ぎ手になってみたいととか。
そんなものへの憧れは、まったく無かった。
どちらかというと、逆であって運動系の若者や、体力のあるものたちが集まって何かをする。
そんな光景を、冷めた目でみていた。

できるなら、離れて見ないようにしたかった。
子供の当時の青春ドラマにあったような、若さをぶつけ合うことが恥ずかしいもののように思える子だった。
一緒に風呂に入って、肩を叩きあうなんて最も避けたいことだったし。

三島由紀夫から脱線したけど。
ノーベル賞のことだって、あんなものにどれだけの価値があるのか理解できない。
番組の中で美輪明宏の言った、ノーベル賞の価値に対する発言のほうが自分にはしっくりくる。
しかし最終的に、あのような死、終わりを迎えたということは彼らしい。
結局彼は、死ぬまで、青年であり続けたのかも知れない。
大人になりきれなかった万年青年だったのかも知れない。
彼は、自分が逃れることのできなかった、コンプレックスの塊の青年であり続けた。
私には絶対に理解できない作家のひとりかも知れない。