下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

還暦に望む

昔のことだけど、私は宿泊関係の施設で働いていた頃があった。
そこで知ったことが幾つかある。
その中に、男性と女性の性差による要望が異なるということに気付かされた。

例えば、女性のグループはできるだけ寝食を共にしたいと希望する。
グループの部屋割りにしても、女性グループは出来るなら全員が一緒の部屋で寝泊りしたい。
そうゆう希望が圧倒的に多い。

それに比べて、男性のグループはできるだけひとりの部屋を希望する。
宴会は一緒にするが、寝るときだけは一人部屋を好む例がほとんどだ。
こうしてみると、一般的に男性は女性より孤独を好むということなのだろう。

と考えると、人が老いて孤独になるということは男性にとってはそんなに悪いことじゃない。
そう思えるのだが間違っているのだろうか。
老人の孤独死は他人からみると悲惨な最期に見えるのは仕方ない。
でも死に至るときは誰だってひとりで三途の川を渡ることになる。

よく死を看取ったとか言うけど、亡くなった人にとっては看取られたとか関係ない。
それはこの世に生き永らえている人達の感慨であって、死んでいった人の気持は誰もわからない。

私はこれまで生きてきたけど、どっちかというと孤独に癒されてきたような気がする。
働いているときは、どうしても組織だった中で他人との関係を築きながら動いてきた。
すると私にある種の圧力が生まれたり、私がある人に圧力を与えなければならない時がある。
そうゆうことを重ねながら仕事が回ってゆくのも仕方の無いことではある。

そうゆう中に居るときは、他人との関係も大事に尊重しながらやってきた。
もちろんオフの時は一緒に杯を重ねて、結構楽しく過ごしてきた。
しかし、どうしても己を押し殺しながら妥協してきたことも多々ある。
私という人物は変わり者というか、とても失礼な人間だと思う。

組織の中に居るときは精一杯他人との関係を作る。
しかし、その組織を離れると信じられないくらいにそれまでの関係をたち切ってしまう。
例えば組織を離れて年賀状が届いてもほっといておく。
何年か続けて賀状が送られてくるが返信しない。
本当に礼儀のかけらもない大変失礼なエゴにまみれた人間だ。
そのうち、賀状も届かなくなってしまい、子供のほうが多くの枚数を受け取るような正月を迎える。

その理由としては、家内を亡くし、ひとりで3人の子どもを育てなければならなくなった。
だから言い訳めいているが、当時年賀状を書いたりする時間も暇もなかった。
そのことが、組織から離れる時とほぼ同時に起こった。
だから過去は引きずらないでおこう。
現実、今出来る事だけを頑張るしかないと決めざるを得なかったようなこともあった。

そしてついに子育てからも開放される年齢としては遅くなったが、もうすぐ還暦を迎えようとする。
還暦を迎えてもしばらくはこれまでどおり、子育ては続くのだがそれもあと一年足らずで終わりそうだ。
これまでの子育てという喧騒の中にあって、急に一人暮らしという静寂が訪れようとしている。
だからそれを思うと、こんな嬉しいことはないと思うのである。

もちろん孤独というものは辛い時もあるだろう。
いや、殆どの人にとってかなり厳しいものなんだろう。
では、その孤独の辛さや悲しさを味わってやろうではないか。
いや、反対にその孤独をとことん遊び倒してやろう。
まもなく還暦を迎える前に、そんなことを思うようになってきた。