下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

BBC放送「日本の秘められた恥」

ひとりの日本人の男として、たぶん彼女の言っていることは正しい。
そして、日本という国は女性が被害にあったら容易に声を上げられない国である。
そして、そこにつけ込む男は卑怯で、許しがたい人間だと思う。
そして、その卑怯な人間を大きな権力者がかばうようなことがあってはならない。
この事実も、ほぼ間違いないだろう。

そして、その権力者におもねて、被害者を非難する女性の国会議員がいる。
このことも嘘ではない。

日本は恥の文化だと言われている。
その恥を利用した犯罪はまだ他にもあるだろう。
被害者のほうが権力に負けて、恥を理由に泣き寝入りしなければならない国、それがいまの日本だ。
自分が親となり、娘を持つようになると良くわかる。
娘の親になったことのない人間には、ほぼ理解できないことかも知れない。

人の性格は、自然と顔に現れる。
私は、この女性のことをほとんど知らなかった。
そして調べてみて最初に現れたのがこの写真だった。
この人の目は、とても冷たくて怖い目をしている。
今にも獲物に挑みかかろうとしている女豹のような目だ。

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先日、党首討論が放映された。
あの時の放送を見ていて、とても悲しい気持ちになった。
いまの日本の政治がこんなにも貧弱なものだということを感じた。
最後に、岡田氏の放った言葉がいつまでも耳の奥に残っている。
「総理あなたは、良心の呵責を感じないのですか。」
まさしくこの言葉は、私が総理に伝えたかった言葉だった。

最初に、枝野氏、そして大塚氏、岡田氏と討論に挑んだ。
この3人を見ていて、思ったのは前原氏の事だった。
前原氏が、みどりのタヌキではなく、みどりのおばさんに影響されなかったら、今頃みんな同じ党に所属していただろう。
その時は、もっと大きな政党のまま、与党に対決できただろう。
そのことに無念を感じてならない。

 

 

サッカーのことなど

あんまり熱中する方ではない。
試合もライブで見ていません。
だけど、その後、あと味の悪いサッカーだったことを知った。
そこで提案だけど、サッカーにも柔道のような教育的指導が必要かなと。
試合に対して、戦うことをやめるようなボール回しをしたらイエローカード
レフリーで話し合って決めたらどうか。
ブーイングも少なくなるだろうし。
せっかく応援に来ている人たちも、フェアプレイを見たいだろうし。
スポーツはフェアでなければ面白くない。
今回の場合は、このルールは日本に不利となるけど。
サムライはどこに行った?
卑怯なサムライはいらない。

 

中身のないメッセージ

誰も知らないメッセージ
まもなくパートナーの命日がやってくる。
彼女は3人の幼子を残して逝った。
あれから長い年月が流れた。
0歳だった子供も、成人になった。
僕にとっては、あっという間だった。

彼女から受け取ったメッセージは僕だけが知っている。
家族も兄弟も誰も知らない。
誰にも話すつもりもない。
墓場まで持ってゆきます。

メッセージの内容は想像するしかない。
でも、確実に僕に宛てたものだ。
彼女が死を選んだあの日。
僕は何も知らなかった。
信じられなかった。
彼女は聡明なひとだった。

そのメッセージを受け取った時、驚いた。
彼女が亡くなった日から数えて初七日。
その日は僕の誕生日だった。
当時は取り乱していて気づかなかった。
だいぶ経って、冷静になってから気付いた。

どうして初七日が、僕の誕生日だったのか。
たぶん聡明な彼女は計算していた。

自分が死を選ぶことをパートナーである僕にその訳を微塵も告げなかった。
相談もしなかった。
僕は、あなたの相談の対象となる価値さえもない男だったということ。
僕のような、つまらない男に未練はなかった。

いや、反対に僕を蔑んでいた。
憎んだこともあっただろう。
役立たずの男として。
死んだほうがまし、そう思ったかも知れない。

明確なメッセージではない。
僕が自分で解明するしかないメッセージ。
僕が死を迎えるまでに考え続けなければならないメッセージ。
自責の念を持ち続けなければならないメッセージ。
まもなく彼女の命日がやってきて、僕の誕生日もやってくる。

進歩

LEDと電波時計のこと。
別に関係性はありません。
ただ、その恩恵に浸っています。


晩酌をしてから寝ると、夜中に尿意を覚えて起きます。
そうゆうときには、単三電池一個だけの小さなライトを使います。
大きな電灯はまぶしすぎるのです。
ボヤーッとした小さな明かりが目にやさしい。
そこでLEDライトを持ってトイレに行きます。
昔の懐中電灯に比べたら、電池の持ちが良すぎます。
感謝です。

 

昨日、96歳の母を老人ホームに見舞いに行きました。
車がないので、バイクにまたがって。
ちょっと梅雨の中休みを利用して走りました。
すると、老人ホームで誕生会があってこれを貰ったと言います。
四角い箱を開けてみると、電波時計、それも壁掛け式の大きな時計。
ちょうどうちの時計が壊れていたので、早速貰って掛けました。
この電波時計もすごいです。
電池を入れると、すぐに時計の針が回り出します。
それもすごい速さで。
そして12時のところに来て止まりました。
そのまま電波を受信しているようです。
数分すると、また針が動き出して正確な今の時間に来て止まりました。

 

もう、時計の針を合わせたりする必要はありません。

昭和の時代には、時計の時刻を合わせたり、ゼンマイを巻いたりする係がいた。
一番背の高い父親の仕事だったかも知れない。
父親が年をとってくると、高いところは危険だからと言って、長男らの仕事になった。

 

そう言えば、昔のパソコンは時間が正確ではなかった。
そうか、スタンドアローンだったから狂ってきたりしていた。
今のパソコンは時計を合わせる必要はない。
OSが自分でネットにアクセスして拾ってくるのでしょうか。
それともブラウザでしょうか。
詳しいことは知りません。

 

まっ、いずれにしろ時代は進んでいるのです。
私が生きているうちに、車の自動運転は普及してくるのでしょうか。
自動運転と手動運転が混在している頃に、おさらばかも知れない。
その頃はIoTとかも進んでいるだろうし。
どんな時代か、面白そうだ。

原発は要らない。

原子炉という仕組みは、例えば車のエンジンのようにスイッチを切れば止まる仕組みではないのです。

スイッチを切っても他からのエネルギーを必要とします。

そして、他からのエネルギーが途絶えるとメルトダウンを起こし、チェルノブイリ事故や福島原発事故のようになるのです。

 

エネルギーを生み出す装置として、危険なときはスイッチを切れば済むわけではないということ。

このことをみんなは知りません。

原発ができる前までは、発電というものは普通に出来ていました。

なんの危険性もなく。

難しい仕組みは必要なかった。

 

ところが原発という仕組みを導入してから、たかが発電のためなのに信じられない莫大な危険を負うことになった。

いまの福島原発事故の実態を知れば知るほど、日本人は過ちを犯したことが理解できます。

なのに、いまでも一切事故から学ぼうとせずに、使用期限を過ぎた原発まで動かし続けようとしています。

日本人ってこんなに愚かな国民だったのだろうか。

違います。

 

間違ったら改めることができるはずです。

原発で大きなお金や既得権が生まれていても、それを変えることはできるはずです。

もう二度と原発事故はごめんです。

そのために国民ができることは一つです。

原発に反対することです。

 

もう拉致問題に残された時間はありません。

私が若い頃は、サービス業で働いていました。
長年働いていると、どうしても、お客様からのクレームが発生します。
そうゆうときは、どうゆう対応をすればいいのか。
このことはサービス業を経験したことのある人はみんな知っているはずです。

まずは、時間を変えること。
そして、場所も変えること。
最後に、対応する人を変えること。

日本には拉致問題というとても重要な課題があります。
この5年間、何も変わってきませんでした。
どうしてかというと、安倍捏三という人が変わらないからです。
この人を変えないと、拉致問題に決着はつきません。
拉致被害者の方々は、そのことを知るべきです。
そして声を上げるべきです。
もう時間はありません。

 

政治の話。

今の安倍政権は、これまで嘘、偽り、改ざん、捏造、隠蔽、などを何のためらいもなく、当たり前の手段として使っってきた。

その上に、今回は賭博という犯罪も容認できる法律を作ってしまった。

誠に恐るべき政権に成り下がってしまった。 

また、その妻である昭恵夫人大麻という麻薬まで肯定している。

一体この国はどうなったんだろうか。

国民に、簡単な善と悪というものがわからなくなってきたとしか思えない。

 

お題は体調管理ですか。

今週のお題「体調管理」

何でしょうか、特にこれが僕の体調管理と言えるようなものはない。
強いて言うなら、規則正しい生活でしょうか。
だいたい同じ時間に起きて、ほぼ同じ時間にめし食って、同じ時間に就寝しているはず。
生活としては、かなり質素な生活だと思う。
たまには高い食材でも買って調理しようと思わないでもない。
しかし、スーパーにゆくとやっぱり躊躇して、いつもの安いものを買ってしまう。

そうでした、体調管理でしたね。
できるだけ歩くようにはしていますが、寒いと怠けてしまいます。
もう少し春めいてくれば、気持ちよく歩けるのでしょうけど。
それに独り者ですから、自由ではあるけど行動に移すきっかけがつかめない。
アルコールも嗜んでいます。
たしなんでいるということは、節度を持って飲酒しているということかな。
毎日、晩酌をしている。
これは体調管理から見てどうなのでしょうか。
あまり褒めたものではない、生活習慣病に繋がるのか。
酒の種類は、一番安い焼酎を飲んでいる。
それも甲類だ、カロリーがないので太るようなことはないと思っている。
それに、夕食の時炭水化物は取らない。
ほとんどツマミぐらいしか取らない。
酒は百薬の長だと、ほぼ信じている。
ストレスは溜らないし、朝の目覚めもいい。
体温を少しあげるので、寝付きもいい。
このくらいが自分の体調管理と言えるのでしょうか。
おわり。

 

 

 

 

 

 

総理

私の生涯を振り返ると、安倍総理という人と全く逆の生き方をして来ました。
早くに家内をなくして、幼子三人を男手一つで育てました。
その頃は児童扶養手当もない自民党政権下でした。
だから、お金にも不自由しながら、まるで難民のような生活を送りました。

時々思うのですが、大きな権力も富もあるけど子供のいない恵まれた夫婦、という人達はいったいどんな生き方をするのだろうかと。
そんな興味ある人たちが、私にとっての安倍総理夫妻です。

比べてみると、私の送ってきた生涯とは、真逆な生き方をしている人たちです。
メディアから流れてくる彼らを見ながら思います。
自分の情熱を注ぐ対象がそばにいなかったら、どうするんだろうか?

権力も富も溢れていたら、きっと何もしないわけにはゆかないでしょう。
そうなると、自分の仕事を通じて卑近なお友達に情熱を注ぐしか無いのかな。
子供がいないので、そのぶんお友達との交流が一番の情熱を注げる対象となるのではないでしょうか。
そして、そのためなら自分ができるせい一杯のことをしてあげる喜び。
それが夫妻の生きがいにも繋がっているのでしょう。

そうしながら、交流できる人はもっといないだろうか?
自分たちの思想に近い人は見つけられないだろうか?
そして見つかったのが、籠池夫妻だった。
権力と金なら心配はいらない。
権力をうまく使えば、億単位の金も生み出せることができる。

いまは、ちょっとでも自分を擁護してくれる有名人がいたら、すぐ会って一緒に食事を楽しむことにも情熱を注ぐ。

しかし、心配なのが、彼らには子々孫々という観念が薄いようである。
かれらは、自分の寿命が終わればそれですべてが終わる。

でも子供を持った私達は、子や孫のことまで考えてやらねばならない。
この国の平和がずっと続いて欲しいということには絶対的な望みを持っている。

なのに、総理にはお友達以上に、自分の名誉や、祖先が持っていた希望のほうを大事に考えている気がする。
そんな偏った環境にある人間が、この国の大事な舵をとっているということが危惧される。

 

2018年の抱負

今週のお題「2018年の抱負」

来年の抱負ですか。
もう歳だから、あまり大きな目標とかは無理だと思っています。
始めるのに遅いとか年齢とかは関係ないというけど。
なぜか、起動力がないのです。

もう長いこと生きてきた。
老化に伴う耳鳴りもするし、歯も視力も衰えてきたような気がする。
政府はもっと働けというけど、年金も少ない。
年金が少ないから働けというけど、自分の生活を切り詰めるしか無い。
だからいまは、車も手放した。
買い物はバイクを使っている。
いまのような寒い日は、外出もままならない。
雨の日は、スリップの恐れもある。
暗くなると視力も落ちているし危険だから乗らないようにしている。

あと、後期高齢者の母親の介護のために、老人ホームのお金も払わないとならない。
これでもっと働けなんて、どうゆうことなんでしょうか。
私の願いは、平和と自由と豊かさです。
なのにいまの政府は、戦争準備と不自由と格差拡大です。
どうして国民はこんな政治を求めたのか、理解できません。

今年の一番の抱負が見つかりました。
それは安倍政権が終わることです。
それしかありません。

 

ありがとう、2017年

今年は20年ぶりに旅行をしました。
ひとりで三人の子を育ててきて、三番目の0歳だった子が二十歳になり、家を出た。
長男が家を出てから7年間ぐらい、彼のところに訪ねることはなかった。
しかし、やっと自分ひとりになれたので、長男の住んでいるところまで旅行に行ってみた。
すると、観光の準備や宿の手配などもしておいてくれた。
そして、一緒に観光して、温泉に浸かって、彼の予約してくれていた旅館に泊めてもらいました。
彼は不登校などで卒業が数年遅れたから、未だに学生をしていた。
そして今年の春、彼の納得する会社に就職できた。

そうしてみると、今年は大きな節目の年だったんだ。
就職してから初めて、この年始に帰省する。
また一回り大きくなっているのだろうか。
とっくに何もかも父親を追い越して成長してくれた。
父親として、こんな嬉しいことはない。
ありがとう2017年。
さようなら2017年。

ちょっと勘違いしていました。
旅行に行ったのは昨年の夏でした。
今年は彼が就職した歳でした。
お詫びして訂正いたします。

 

 

今年買ってよかったもの。

今年も、今年買ってよかったもの、が賑わっているけど。
あれって、アフィリエイトですか?
みんなが何かを買いたいけど、なにを買ったらいいのかがわからなくなっているみたいです。
片方、断捨離サイトもたくさんあるし人気があるようだ。
いらないものを買っては、その処分に困っているみたい。
でも、そうやってこの世の中の経済は動いている。
ものを消費しなかったら、経済は成り立たない。

究極の消費は戦争なのだろうか?
だから、資本主義社会では戦争は絶対になくならない。
歴史がくり返すのもわかるようなきがする。

季節さえもが、寒くなったり暑くなったりを繰り返している。
常夏の島に地球がなったら、誰か困るのかな。
暑すぎるのも困るけど、寒すぎるのも困る。
一年中、春や秋だけの場所はあるのかな。

でも、それじゃ経済は停滞して発展しない。
人間だけが発展を求めている。
地球上の生物や動物の中で、人間だけが早い変化を求めている。
あの宇宙まで、活動の域を広げてしまった。
それでも地上では、戦争や憎しみはなくならないで、殺し合いは続く。
これを進歩といえるのだろうか?

もしも、人間が類人猿の一種類だったら地球は傷つかなかった。
温暖化も汚染も広がらなかった。
さあ、人間が滅びるのは後どれだけの時が必要なのだろうか。
その時は、ゆっくりと訪れるのか、一瞬で終わるのだろうか。
こんなことを考えても仕方ない。
人間の進歩に抵抗を示して、できるだけ人間の時代を長引かせてみようかな。
どうやって?
わからない。

そろそろ、物欲から離れよう。

今週のお題「今年買ってよかったもの」

毎年年末の恒例である、今年買ってよかったもの。

そろそろ趣向を変えませんか。

ものだけでなく、目に見えないものも含めましょうよ。

だから、「今年出費してよかったもの」にしてください。

でも、僕にそんなものは存在しないのですけどね。

あっ、おもいだした。

今年の冬は、電気毛布、もしくは電気ブランケットでした。

これまで僕は、エネルギーの中では電気が一番高いと信じていました。

ところが、熱エネルギーはその出力されたエネルギーをどう保存するかというところまで思いが至らなかった。

熱は、逃さないで、一箇所に留めることが大事だということです。

まあ、そんなことは今週のテーマから関係のないことですが。

でも、電気毛布の簡易なものは一枚あってもいいと思います。

あと、今年出費したもので良かったものはなんだろう。

反対に、出費しなくてよかったものは、車です。

車ほど面倒で金を食うものはありません。

車に費やす金があるなら、もっと自己を成長させるために出費できる余地は無限にあります。

己の成長というのが、漠然としているけど。

別に成長でなくても良い。

己を癒やしたり開放したり、充電できたらそれで良いのではないでしょうかね。

生きざま?

どうなんでしょうか。

僕のように、前期高齢者でひとり者で、年金が月にして、10万円ぐらいの人っているのかな。

それに、子供が3人いて、男手ひとつで育ててきた人なんてほぼ皆無でしょうね。

かなりレアな存在なんだろうとは思う。

当時は、父子家庭には児童扶養手当もなかった。

今はあるのかな?

遺族年金は母子家庭だけ。

男だったら、働いて誰か女性と一緒になれ。

そうしないと適用できないだろう。

一人で幼子3人も育てられるはずはない。

国の政策も、そんなことは想定外だと。

もし、男がひとりで子育てをするのなら、知らないよ。

勝手にすれば。

そう云う時代でした。

でも、逆らったわけじゃないけど。

かっこ良く言えば、この子供らの母親はひとりしかいない。

この子らに、この人が新しいお母さんだよなんて言えない。

かっこ良く言えばの話だけど。

本当は、貧しい父子家庭に誰が苦労を知りながら嫁ぐ馬鹿はいない。

それに、哀れみで嫁いできてほしくもない。

慰みは嫌だ。

自分で慰めるすべは知っている。

子供たちを普通に成長させるためには、己は何の意味もない人間でいい。

世間に、どうさげすまれようが、ちっとも痛くない。

だって、家族が一番なんだから。

職場で身に覚えのない疑いをかけられても、真実は自分が持っている。

疑うものをあざけ笑うだけ。

だって、そこには真実はないのだから。

それを知っているのは、僕しかいないけど。

そして、そんな仕事も終わりを告げて、精神的には安らいでいる。

後は、自分の死をやがて迎え入れることが役目である。

もう誰からも支持されずに、疑われずに静かな毎日を送ることができる。

ただ他人を疑わなければならなかったような仕事をしなかったことが嬉しい。

それでも、長い間生きてきて、迷惑や苦労や苦しみを与えた人がいる。

そのことには、謝っても謝いきれないけど。

罪を犯すことが生きることなんだと悟る。

今日はごめん。

少しおかしいけど、これが己を吐露するということなのかもしれない。

では、おやすみなさい。