下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

不寛容社会

いまの日本は、次第に不寛容な社会になりつつあるのではないか。
近頃、そんな意見が聞こえるようになった。

ちょっと疑問があったり、クレームがあったりすると、とりあえずやめる。
例えば、カップヌードルのCMなんかがそうです。
法的には許されるけど、ひょっとしたらメディアなどで叩かれる可能性がある。
これまでの、面白いから良いじゃないか、それだけじゃだめになってしまった。
また、ひょっとしたら想像もできない人を傷つける恐れがあるかもしれない。
そんな不寛容な時代になってきたのだろうか。

そこで、思い出したのは、フランスの風刺週刊誌の襲撃事件だ。
ある宗教を風刺しても、これは言論の自由だから許されると。
しかし、風刺されたほうは、許すことができない。
風刺されたほうも、寛容になって許すことができたら、襲撃事件も起こらなかったはず。
しかし、信者にとっては、信心が深ければ深いほど許すことはできない。
言い換えたら、不寛容になってしまっている。

だからといって、何でも寛容になればいいと言っているわけでもない。
法的にも、倫理的にも間違っているなら、声を上げるべきだ。
難しいのは、グレーゾーンにある事柄の場合だ。

社会が不寛容になれば、言いたいことが言えなくなる。
言論や表現の自由に制約が加わってくる。
これは絶対に防ぎたい。
だから、言いたいことは言いながら、できるだけ寛容な人間になりたいものだ。