下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

金正恩の戦略

北朝鮮が生き延びるためには、米国に勝たないとならない。 そう金正恩は考えている。 あの小さな北朝鮮が、大国である米国に勝てるわけがないと誰もが確信している。 全くそのとおりである。

しかし、これまでの歴史で、小さな国が大国に勝った例がある。 それがあのベトナム戦争だ。 ベトナムも、今の朝鮮半島のように北と南に分かれていた。 そして、南を応援していた米国は、莫大な武力で北を叩いた。

しかし、ベトコンなどの力でついに米国を追い出して、北が南を飲み込んだ。 そんなことが、実際に歴史として刻まれている。 そこで、同じようなことをと考えるのは当然のことだ。

その結果、北の生き残る戦術は、ベトナム戦争を想定しているに違いない。 今の戦争では、核兵器は使えない。 有効な戦術は、国民を犠牲にし、盾にできるゲリラ戦になる。 そのことを金正恩はわかっている。

このゲリラ戦が長引けば、大国の米国でさえ勝つことが難しくなる。 米国民の不戦と平和の声が大きくなると、ベトナム戦のように朝鮮半島から撤退せざるを得ない。

そんな状況の中で、日本はどうすればいいのだろうか。 米国の応援を日本がしているとわかると、北朝鮮の矛先が日本に向かうことは、容易に理解できる。 日本にある、米国に基地を叩こうとするのは当然のことだ。 日本人にも被害が及ぶのも、当たり前のことだ。

そうならないためには、人間だけが持つ言葉の力で話し合うしか無い。 しかし残念ながら、日本と米国は相手の攻撃を挑発するばかり。 何かのきっかけで、有事が勃発するのを待っているかのようだ。 最初は一気にダメージを与えられても、その後ゲリラ戦になれば簡単には終わらない。

ベトナムと、北朝鮮では対応が異なるかもしれない。 それにしても、武力に訴えることは厳に謹んで欲しい。

初歩の園芸

近ごろの朝食は、味噌汁を作るようにしている。 食パンのほうが簡単なんだけど。 一人分の片手鍋に一杯分のお湯を沸かし、アゲの刻んだものとありあわせの野菜を入れている。 材料が煮えたら、合わせ味噌を溶くのだが、一人分しか無いと汁の量が少ないので溶きにくい。 そして、最後に卵を割り入れて半熟ぐらいにする。 あとは、タクワンとか梅干しとか、あったものをテーブルに置いて終わり。 終わったらドリップコーヒを入れて、パソコンを付けて、血圧用のスプレッドシートを開く。 そして、おもむろに血圧を測定する。 この血圧計の示す数値は大きく変動する。 そんなときは、数回記録を取る。 以前はその数値から、真ん中ぐらいの心配しなくてもいいぐらいの数字を記録していた。 しかし、近ごろは、測定したら全部を記録することにした。 その数値が事実であろうと、誤差であろうとも全部を記録にとる。 そうすることで、何かわかることがあるかも知れないからと。

今日は三連休の真ん中の日だ。 今の自分にとっては、なん連休だろうが関係ないけど。 365連休だからね。 それでも、世間の連休のことも知らないと、巷の喧騒も気づかなかったじゃ済まない。 今日は少し風が強い。 冬らしくなってきた。 種から育てた花の苗が気になる。 気になるし、わずかばかりの成長が楽しみでもある。 たぶん花を拝めるのは、、年が明けてからだろうけど。 今はポット苗だけど、そのうち地植えにしよう。 数が多いから、一部は鉢やプランターでもいい。 でも、好きなのは露地栽培です。 大地に根を張って成長して欲しい。

たぶんこのクリサンセマムは、その僕の要望に答えることのできる種類だ。 再来年は、こぼれ種で生育できるらしいから。 たくましいけど、華麗な花を咲かせてくれそうだ。

園芸はいい。

年をとってからの趣味は園芸がいい。 いま、種まきから発芽させて幼い苗を育てている。 そのためには、お日様のこと、水のこと、土のこと、いろんなことを知らないといけない。 あと、気温のことも、肥料のことも。 四季折々にどうすれば元気に育つのか。 この植物の性質はどうかとか。 人が生きるためにも、極めて基本的なことを知識として知る必要がある。 植物を育ててみると、いくらあわてても、時間が必要なこともわかる。 いくら肥料をやっても駄目で、かえって肥料にやられたりもする。 まるで子育てのように難しい。 でもその難しさが達成感につながる。 政治のことや経済のことも忘れることができる。

ストレスもなくなるし、煩雑なニュースとも距離を置くことができる。 これからの楽しみは園芸に尽きる。 ただの雑草でも、対策するにはその性質を学べる。 そしてその学びは、他の植物の生育にも役立てられる。

老いてからの趣味は、園芸がいい。 特に、何も経済的な負担も少ない。 お金の余っている人は、ゴルフでもして経済効果に貢献してください。 日本のような気候環境に、除草剤をたくさん使って英国のようなゴルフ場を作りなさい。 そんないびつなところで、小さなボールをひっぱたいて、追っかけなさい。

そこから離れると、里山がある。 里山の自然の多様性や芳醇さには驚きます。 山野草も、昆虫も、小鳥も小動物も。 そんな自然の中を歩くほうがずっと楽しい。 知識のある人は、嬉しくて仕方ないだろう。

環境の何かも知らずに、金と政治と権力にとらわれている政治家たちはゴルフをして、愉しめばいい。 お好きなようにすればいい。

引っ越しするかな

前から、気にしていたけど引っ越そうかな。 はてなが嫌いというわけじゃないけど。 いちど、有料ブログにしてみようと思って。 はてなの有料は高いから。
安いところはJugemだったんだけど、僕には使いにくかった。
というわけでたぶん、こっちFC2に変えようと思っています。
まずは、どこまで使えるか。
無料版でいじってみてから。

[http://cormsin.blog.fc2.com/:title]

存在理由

人は年を取ってくると、あと何年生きられるだろうかと考えたりする。そして、一体自分は何のためにこの世に生を受けたんだろうかとも思う。ここまで生きてきた意味は何だったんだろうかとか、様々なことを思ったりする時がある。

できるなら、困った人がいたらその人のために役に立てるのなら、役に立ちたいとも思う。直ぐ近くにそんな人が見つからなければ、一国民としてできることはこの国が少しでも優しい国になって欲しい思う。

新聞ニュースを見ていると、力のある権力者にかしづき、おもねて仕事をしている人がいると聞く。世の中は要領よく生きたほうがいい生活ができるとでも思っているのだろうか。そして、恥ずかしいことにその人は女性を力と金で辱めていたらしい。でもいまは陽のあたる場所に出てこれなくなってしまった。しかし、信じられないことに、その犯罪を権力者がもみ消すなどということができる国になっているようだ。気がついたらそこまで堕落した国になっていたのに愕然とする。

歳を重ねてほとんど力は何も残っていない、非力ではあるがそんな世の中を正すことができるなら、そうしたい。相手がどれほど大きく強いものであろうとも、悪いことは悪いと言い続けて死んでもいい。政府の都合の良い法律の元、もし、言論の自由がなくなっても、老い先は短い。声を上げながら獄中で果ててもいい覚悟を持ちたい。それが自分がこの世に生を受けた証であるならそうしてもいい。

資本主義社会と権力

芸能人たちの間で少しは名の売れた芸人たちが安倍政権のどこが悪いのかわからない、などと政権を擁護している記事がニュースなどで流れている。

これは、すべてのことで言えることだが、いま現在この社会の中で恵まれている人、例えば高収入を得られている人たちは、いまの体制が変わってほしくないと思うのは当然でしょう。

だから、できるならどうにかして、いまのまま、体制が変わることを防ぎ、続いていってほしいと思うのは芸人であってもなんら不思議ではない。

反対に、今の社会の中で苦しい思いをしながら、どんなに働いても辛くて貧しい生活を送っている人たちもいる。そうゆう人たちにとっては、どうにかしていまの体制が少しでも変化して欲しいと思うのも理解できる。

次第に格差が拡大して、裕福な人や資産をより多く持っている人に、より多くの資本が流れるのが今の社会体制である。 もちろん、これが資本主義社会である事実は変わらないわけだが、少しでも体制が変わって貧しさで苦しんでいる人が、わずかでも生活しやすくなって欲しいとは思う。 これも、まるっきりわからない話ではないが、しかし、中には自己責任論で片付けたい人たちも少なからず存在している。

それだけではなくて、なかには自分自身の経済的な理由だけで判断せずに、何が正しくて、何が正しくないのかという判断をしようと努力している人もいるのではないだろうか。

その正義という判断は極めて難しいが、いくら法律を犯していないとは言え、やはり権力を持ったものは、疑われるようなことをするべきではない。

ひとりの人間として尊敬を集めるような人格を持った人が、これまでの政治家には何人かいたと思う。 そういった政治家は自分の中に哲学を秘めていた。 彼らは世界のどんな首脳とであっても、人間と人間として何かしら深いところで、お互いが尊敬できるものを得ていたように思う。 上辺だけの、見せかけの関係ではなかった。 例えば、大平元総理とカーター元大統領のように、二人の間には深い人間関係が築かれていたように思う。

決して、自分の意見だけを述べるだけで、相手の人の立場まで理解しようとしなかった政治家はいなかった。 そして、いつでも扉は開かれているなどと、うそぶいているような政治家もいなかった。

公平さというものの意味がわからず、卑近な自分に近いものだけに自分の権限を使って利益をもたらすという行為。それに、なんの疑問も持たない人間は、やがて寂しい人生を送るような気がするが、どうか危惧であってほしいものです。

理由なき反抗

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昭和の時代

この時代の若者は常に何かに反抗していた。 反抗することが若者の特権だった。 彼らの目はいつも何かを睨んでいた。この社会にある理不尽なもの、不正ないかがわしいものを。 大人の傲慢さや権力者たちの横暴を許さなかった。そして見逃さなかった。 もし見つけると、己の非力さも厭わず、野犬のように噛み付いた。 中には世界革命を理想とするものも現れ、学生運動も日常的な社会に変わっていった。

生き物すべて

若者だけではなかった。 空き地で生まれた野良猫の子猫さえもが逆らった。 まだよちよち歩きのくせに、人間を見ると威嚇した。 あの小さな口の隙間から息をフーッと吐いて眼の前にいる大きな人間を威嚇した。 猫は愛玩のために飼われるわけではなく、害獣を駆除するために飼われた。 餌は麦飯に味噌汁をかけたねこまんまだった。 当時はキャットフートなんてものはなかった。 人間が食べ残した魚の骨があればいいほうだった。 肉が食べたかったら自分でネズミを捕るのは当たり前。 そうして、人間と猫との関係は相互利害で成り立っていた。 猫に追い詰められたネズミでさえも、猫に歯向かっていくのを目の当たりにした。 猫はそんなネズミを手玉にして、遊びながら狩りのしかたを覚えていった。

平成の時代

平成の若者の口には牙が消えていた。 先の時代が「理由なき反抗」なら、今は「理由なき従順」だろうか? 強いものにかしづき、権力者におもねる。 不正や理不尽な事象には目もくれない。 自分には直接関係ないことだと。 卑近な場所が楽しければそれでいい。 働いて収入があればそれでいい。 何も自ら危険を犯す必要はない。 社会の中で困難にあうとメンタルが壊れたと引きこもる。 だから反抗なんてダサいことはしたくない。 いつの間にか猫も愛玩動物になり、キャットフードをもらい、猫なで声で飼い主の足にまとわりつく。 若者も猫たちのように愛玩されることを好むかのようだ。 そんな若者を手のひらの上で転がしながら、為政者たちの横暴は続いてゆく。

車は意外と軽い

www3.nhk.or.jp まさか、空から車がぶつかってくるとは想像できませんね。
わたしたちが考えているより、車というのは意外と軽いのかもしれない。
よく、雨がたくさん降ると、アンダーパスや河川敷の車がプカプカ浮いて流れます。
あれなんかを見ても、わかります。
台風シーズンになると、大きなトラックが風に煽られて、横倒しになるということもよくあります。

スピードに乗った車は、ちょっとしたことで、このように人の高さよりも高く舞い上がるのです。
まるで映画のワンシーンのような映像でした。

シニアプログラミング

blog.sideriver.com

高齢者のプログラミング記事です。

たぶん、言語をある程度マスターすれば簡単なプログラムは組めるようになると思う。
そのためには、論理的な考え方が必要でしょうけど。

目的が大きなものになってくると、体系づけて組み立てないといけないはず。
ここに出てくる皆さん、ある程度基礎的な力を備えておられるようなきがする。
英語にしてもそうですし。

自分もプログラミングの勉強をしようと考えたことがある。
パソコンが普及し始めたころ、ベーシック言語をさわったことがある。
自分の仕事に合わせて、いろんな計算をさせる簡単なプログラムを作ったこともあった。 でも結局、素人は素人なんですね。 組織で複数の人が作るものには太刀打ちできません。

エクセルでマクロを組むこともプログラミングの一種でもあると思います。

この年になって、これからいろんな言語を勉強しても、なんの役に立つの?
ゲームが楽しい人は作ればいいと思うけど。

しかし探せば、すでにフリーのゲームでもたくさん巷には氾濫している。 何も自分で幼稚なゲームを作ってもしょうがないではないでしょうか。 仕事を持っている人は、何かの役に立つかもしれないけど。

そんなものより、まだHTMLやCSSを覚えて、HPやブログなどを好きなようにカスタマイズしたり、デザインをいじったりするほうが面白いと思います。

素早い変身ではなく返信

こんなに早くメール返信が返ってくるとは思っていませんでした。 内容は以下のようでした。

メールをいただきありがとうございます。

受信相談についてのお問い合わせは詳細をお聞きする必要がある場合がございますので、>メールではお受けしておりません。申し訳ございませんが、お電話にてご連絡をお願い します。

▼電話受信相談窓口  電話 

▼お客様のお使いの電話からナビダイヤルにつながらない場合は (*マイラインやIP電話をご利用の場合など)下記の番号におかけ下さい。

・東日本(北海道、東北、関東・甲信越 東海・北陸)

 電話

・西日本(関西、中国、四国、九州)

 電話

■受付時間 9:00~20:00(年末年始12/31~1/3休み)

今後とも、NHKをご支援いただきますようお願いいたします。 お便りありがとうございました。

NHKふれあいセンター(放送)

今日は日曜日です。
てっきり県下の放送局にメールが送られたのかと思ったら、東京の本社に送られていたようです。
ふれあいセンターには常時担当者が待機しておられるのでしょう。
ご苦労さまです。
では、明日にでも、電話で連絡してみることにします。

ラジオが好きです。

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今日、NHKにメールを送りました。 メールの内容は、わたしの住んでいるところはFMラジオが聞けないから困っていると。

知ってましたか、今時のラジオはこんな機能があるのです。

FM補完放送 AMラジオの放送対象地域において、災害や難聴対策を目的に同時に放送されるFM波も受信できる機能。

この機能を使ってふつうのAM放送をFMで飛ばしたりしています。 ときには、AM放送の試験のために放送できないからFMで聞いてください、なんてことを言います。 しかし、FMの電波が受信できません。自分でコードを張り巡らして、アンテナを作って受信するとやっと聞こえるようになります。しかし、普通のラジオの付属アンテナだけでは雑音が激しく聞こえません。 スマホのアプリでらじる★らじるを使えば聞けるんですけど、面倒ですし電池も持ちません。 やっぱり普通のラジオで聞きたいです。 そんなに音質にこだわる方でもないので、普通に受信できればいいのですけど。 もちろん市販している、FMアンテナを買って屋根かどこかにつけたら聞こえることは想像できます。でも一般の人がそこまでやる必要はないでしょう。マニアの人ならするでしょうけど。あと、チューナーのようなものを使えば音質もいいし、ステレオで聞けるのでしょうけど。 そこまでして聞きたくもありません。

さて、今後NHKさんはどうするでしょうか? 中継局とか、送信所の装置を調整することで可能になるのか、期待して待ちます。

それから、僕の持っているラジオのボリュームダイヤルが壊れかかっているのです。 回すとガリガリと大きな音がするのはまだいいのですが、ほとんど音量の調整ができなくなりました。そこで、処分して新しく買おうと思って物色していました。そして今日ダメ元でいいから接点復旧?剤をスプレーしてみようと探しました。しかし見つからなかったので、傍にあった雨具用の防水スプレーを使ってボーリュームに噴霧してみました。すると驚いたことに完璧に回復して、使えるようになりました。全く新品のようになりました。わからないものです。 捨てようとしたらラジオも驚いたようです(^o^) まだこれからも、大事に使ってあげることにします。

大手銀行にお金が集まっているらしい。

www.nikkei.com

お金をたくさん持った高齢者が多くなったのでしょうか。 マイナス金利がもっと極端になると、お金を借りたらその借りたお金に利子がつきますよ。 借金は何もしなくても少しづつ減ってゆきますよ、やがてそんな時代が訪れたらすごいです。 すると、みんなが借金を始めるでしょう。 すると、景気は良くなるのかな。 それとも経済が破綻しますか。

金余りもここまで来たら、どうしたらいいのでしょうか。 それこそ、ヘリコプターマネーでしょうか。 経済学者は今何を考えているのか、知りたいものです。

今日はなんの日

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時の記念日

今日は時の記念日らしい。

時を記念する日。

記念とは?

過ぎ去った物事などを思い起こすこと。

後日の思い出として残しておくこと。

言い換えると 過ぎ去った時を思い起こす日 これはわかる。

後日の思い出として時を残しておく日

時を残すことができるのか? できないでしょう。 時を貯蓄することはできないでしょう。 できるなら、溜め込んで販売すればいいけど無理です。

あくまでも「記念」とは過去のことなんです。 過去を振り返るのが記念だということです。

思い出したくない過去もあるし、思い出すと楽しい気持ちにさせれれる過去もある。

海の日とか勤労感謝の日とか、こどもの日とか建国記念日とかあるけど、どうして"時の日"ではなくて"時の記念日"なのだろうか。

いま調べたら日本の祝日のうち記念という文字があるのは、建国記念の日憲法記念日の二つだけでした。

成人の記念の日とは言わないで、成人の日です。

昭和の記念の日ではなく昭和の日です。

みどりの記念の日ではなくみどりの日です。

わざわざ記念という言葉を付ける理由はなんだろう。

わかった、そうだ、最初にも書いたように、思い出しなさいということなんだ。

建国にしても、憲法にしても過去を思い出しなさいということか。

成人の日は思い出す必要はない、みどりの日にしても。

でも、昭和の日は過去だから思い出すべきなのに。

昭和記念の日でも良かったのではないだろうか?

話はややこしく脱線してしまった。

今日は「時の記念日」でした。 時はすべての人に平等に与えられていることは誰もが知っている。

えっ、本当なの。

寿命に長い短いがあるじゃないか。 このことは、時間を平等に与えられたと言えないじゃないか。

そうか、平等じゃなかったんだ。 でも、今日という一日で見たら誰にも平等な24時間だ。 その24時間をどう使ったら得をするのかしないのか。 その得という物差しはなんだろう。

答えはない。

それぞれが得という自分の物差しを持っている。

有効に消費したか無駄に消費したかは自分だけが知っている。

強引に、まとめたかな。

まだ、これから

まだ時間がある。いくら年をとると寝るのが早いと言ったって、早すぎる。これから夕食を作って晩酌をゆっくりして、テレビニュースでも見ながらチビチビやる。今夜のツマミは鳥のささ身の、なんだろう、味をつけて片栗粉まぶして、炒めます。マヨポンです。クックパッドで教えてもらった料理です。

そう言えば、明日のレポート提出作業のために番組を録画していたのでした。録画していた番組を見なかったりするともったいないです。それに日にちが過ぎるとモニターとして受け付けないから気をつけます。明日なにかすることがあるというだけでもいいことです。 明日は、図書館から借りてきていた本も返却することにしよう。 ついでに、なにか借りてきたいけど、今日のうちに探しておけばよかった。今からでもいいかな。ブックレビューサイトでも見てみるかな。