下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

今日の戯言

今日も無為に一日を浪費してしまったようだ。でも、番組モニターをしているので、レポートを一つ提出しました。それでもいいとしますか。今月残りは5件ぐらいになるのかな。今月はなぜか、担当番組が月末に偏っているんだけど。あんまり作業に追われたくないんですけどね。

これから一ヶ月ぐらい続く梅雨を楽しむ方法は何かないかと考えているのですが、なんかないでしょうか。 かっぱを着て雨靴を履いて外を歩くとか、でも蒸れますね。 むかし、山などを本気で歩くと、かっぱの中も外と変わらないような状態でした。 あの頃は、ゴアテックスなんてものはなかったから。今はほかにも似たような素材があるみたいですが。 そういえば、バイクの中にそれらしきかっぱを積んでいました。今度かぶって雨の中を歩いてみよう。

インターネットの中に、60代のお一人様を探して見るのですが、あまりおられないようです。シニアという言葉で探しても40代とか50代とかなんですね。彼らはその年ですでに自分はシニアと思っておられるようですね。 せめてシニアと言えば60代からではないでしょうか。

高齢になればなるほど、ネットの中では少数派でしょうから、見つかりにくいですね。 むかし、パソコン通信をしていた人とか、MS-DOSを知っている人とか、CONFIG.SYS、とかAUTOEXEC.BATとかをいじっていた人はいるのかな。 過去を懐かしむようになったら、老人になった証拠だといいますけどね。

梅雨に入った。

6月になるとちゃんと梅雨がやってきます。 誰とも契約したわけでもないのに、律儀に雨を降らします。

この雨がないと人間も植物もありとあらゆる地上の生き物が困るでしょう。 この自然というか、地球と呼んだらいいのかはたまた気象と言えばいいのか。 恐れ多いものだと思います。

日本語には畏怖という言葉があります。 よく畏怖の念を抱くと使われたりします。 意味は恐れおののくこと。

昔の人は自然に対して、畏怖の念を強く抱いていました。 恐れおののいていた。 だって、雷がどうして起こるのかも知らなかったし、台風がどうして発生するのかも知らなかった。 それに明かりは、うす暗い蝋燭でしか取れなかった。 今のように、むやみに明るい、蛍光灯やLEDなんてものはなかった。 だから夜はとても怖いものだったと思う。 そんな生活をしてたら自然に畏怖の念が湧いてくると思う。

現代人は科学の力でそれを乗り越えたと勘違いしている。
そして時々しっぺ返しを食らって泣きを見る。 人間よ、おごるなかれでしょうか。

梅雨がテーマだとこのくらいしか書けない。 いや、自分でかってにテーマを決めただけです。

政治改革を進めよ。

政治も透明性を高めよ。

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日本という国は個人を大事にして成り立った国ではない。 昔から、全体主義の国である。
組織のピラミッドを大事にして、頂点に存在する人には絶対服従する国民性を持っている。 先の戦争でも、部下が上司に意見を言うなんてことはまずない。 もしも意見のようなことを上司が耳にしただけで、ビンタが飛んで来る。 そして、頂点に君臨する天皇を利用して、あのような悲惨な戦争があった。

そんな日本の組織体質を今でも保持しているのに、安倍総理が前川氏に言ったらしい。
直接わたしに言えばよかったのに、などと答えたらしい。
なにおか言わんやです。

昔ほどではないが、現在の日本は今でも全体主義を貫いている。 会社のためなら、なんでも我慢せざるをえないような風潮が残っている。 だから、残業にしても隠すことは当たり前だった。
これまでもずっと電通のような大会社でも、当たり前のように全体主義が大手を振ってきた。
全体主義の社会の中においては、忖度なんて当たり前で、それ以上のことさえ何事もなかったように行われている。 だから今の政治組織の中でも、トップの気持ちを推し量って部下が動くことは普通のことだ。

ところが、会社の場合、そのような内部統制のシステムとして内部通報制度が作られた。 これによって、会社のコンプライアンスを守ることが大事だと受け入れられるようになった。

しかし、政治の中では未だに全体主義だけが独り歩きしている。 政治の中にあっても、おかしいことはおかしいと、声を上げられるようにするべきだと思う。 それに、人事権まで掴まれては、どんな違反や犯罪行為があっても誰も声を上げることはできない。 このことが政治を大きく歪めている。
今後は、政治組織の中でも、官僚制度の中でも、内部から不正や犯罪を通報しても罰せられない、通報制度を導入するべきだと考えます。

出戻り

揺れています。
地震じゃありません。
僕の心です。

引越しのことですが、引越し先のJUGEMです。
まずは無料ブログを使ってみたのですが、作った文章の投稿に時間がかかるのです。
そしてエラーが出たりもします。

使いやすかったら、そのうち有料のJUGEM+にしようと思っていました。
そして、独自のドメインに切り替えようと。

しかし、そうこうしているうちに、収入のあるブログにする必要があるのか?
そんな疑問も首をもたげてきました。
収入を得るために、どれほどの時間を費やすのだろうか?
それに、HTMLやスタイルシートも使えるようにならないと効果を上げることは難しい。
そんなことを考えると、無料のブログサイトでもいいのではないか。

僕の目的はお金より、老化した脳みそをかき回して、認知症にならなければそれでいい。
そのためには、有料でなくても無料でも十分だ。
そう思うようになってきました。
だから、今しばらくははてなを使うことにします。

他のブログサイトは強引に有料ブログに導こうとしています。
しかし、はてなはあまり強引にそうゆうことをしていないように見えます。
その理由は、何でしょうか?
ほかに収入源の大きなものがあるのかもしれません。
それに、他のブログサイトに比べてサービスの種類も多いように思います。
ということで、引っ越さずに、利用法の拡大を図ってみたいと思っているところです。

引っ越し

引っ越しを考えています。
できるだけ安いところで、可能性が広がるところへ。
必要な可能性がいっぱい広がると良いなあ。

可能性は、未来へつづく。

そして現状を打破する。

それは、どこですか?

いまのところ考えているのは、JUGEM+です。
もう少し、環境を調査してみます。



矛盾してないか?

安倍総理の言う積極的平和主義とは、平和のためなら武力を拡大して戦争さえ厭わないということなのだろうか?平和のためなら戦争だってするというのだろうか?

同じように、共謀罪法を作って国民を危険から守るためには、国民の人権やプライバシーは必要ないということなのでしょうか?

言い換えると、一番大事なのは金でもなければ名誉でもない、健康が一番だ、だから健康のためには死んでもいいと言っているような気がする。

そしていま安倍総理は、李下に冠を正さずという言葉があるけど、冠が落ちそうになったから、見えないように支えようとした。
でも、冠に李の枝が絡んでしまったような状態に陥っているかのようだ。

権力者が長くその地位に滞在すると、疑われることも出てくるでしょう。
その疑われることは、いまいる権力の座と関係があるのかどうか。

真実を国民は知りたいです。

家計簿

今月の家計簿は赤字に終わった。
一番大きい出費は、バイクのバッテリー交換でした。
多分家まで来て、販売店まで軽トラで運んだから高くなったのだろうか?
車のバッテリーより高くなってしまった。
ひょっとしたら、車の需要よりバイクの需要が少ないので高いのかもしれない。

その次が自治会費一年分、予算に上げてなかったみたいだ。

そして、その次がパソコンを更新したこと、
金額にしたら、7千円ぐらいですんだのだが。

もともと、年金額が少ないのだから赤字になるのは当然だけど。
すべてが贅沢をしたわけじゃないので、まあ良しとするか。

NHKスペシャル PKO

NHKスペシャルのPKOの番組を今ごろ見ました。
番組を見ていて思ったことは、PKOは必要ないということです。
すべての国がPKOをやめたら、世界はどうなるのか。
少しのタイムラグはあるけど、世界に武器が出回らなくなるはず。

すべての国がトランプではないが、自国第一主義で、覇権はしないことを誓う。
北朝鮮もどの国からも覇権がないと信じるなら、ミサイルを打ったりする必要はない。
すべての国が、日本の自衛隊のような専守防衛隊を目指せばいい。

世界の平和のためにと言って、武器を持って他国に侵入するから、その国が乱れる。
言い換えれば、それは広い意味での覇権になっている。
その国のことは、その国の判断に任せましょう。
どんな国民であっても平和を望まない国民はいない。

すべての国が武器を持って国外に出ることを禁止すればいい。
そうすれば、軍備を拡大する必要もなくなり、武器を作って儲ける必要もない。
これこそ平和主義ではないのか。

今の安倍政権からすれば、反対の政策になるだろうけど。
安倍の言う積極的平和主義なんて言うものは、軍備の拡大でしかない。
ほんとうの意味での、平和主義なんかではない。
おじいちゃんの考えに沿った懐古趣味でしかないのだ。

パソコンライフ

このところ、今月はじめに組み立てた中古パソコンばかりを使うようになった。
久しぶりに今まで使っていたCPUがC2Dのパソコンを今朝立ち上げてみた。
すると、こんなにもめんどくさくてノロノロのパソコンだったことに唖然とした。

今回、組み上げたパソコンのCPUはCorei3です。
その差は、たったわずかの違いかと思っていたけど、その違いは大きかった。
だから、もう過去のパソコンには戻れない。

ただ、OSがWindows7であることが気がかりだけど、2020年までにはまだ時間がある。
その頃になると、また新しい中古のパソコンが安くで手に入るかもしれない。

世の中がいくらスマートフォンに変わっても、あんな小さい画面はいらない。
フリック入力もできないし。
パソコンはディスクトップに限るとこの頑固な老人は信じている。
極めて廉価なパソコンライフをエンジョイしています。

早速、挫折

早速、行き詰まりました。
去年から独自ドメインを持っていないと申請できないようになっていました。

URLはウェブページやディレクトリを入力したり、パラメータを含めたりすることはできません、とのこと。
こうなったら、サーバーをレンタルしてドメインを取得するか、でも収入が確定するわけでもないので逡巡しているところです。
ワードプレスにも興味はあるのですが。
そのうち始めるかもしれません。
これからはどんどん老化が進むだけですから。
やってみないとわからないこともあります。
少し時間をおいてから考えてみましょうか。

方針転換

気がついたらいつの間にか、老人になっていた。
まるで、浦島太郎のように箱を開けてみたら煙に巻かれて、老いてしまった。
三人の幼子を男がひとりで育ててきた。
子育て途中のことは、殆ど何も覚えていないほど必死だった。
そして子供が大きくなった今、浦島太郎は禁断の箱を開けてしまった。
ではこれから、この老人はどうすればいいのだろうか?

一つはハローワークに行って仕事を探す。
もう一つはシルバー人材センターに登録して仕事を探す。
そして、最後はボランティアを始める。

だいたいこの3つの選択肢が見つかった。
最初のハローワークだけど、まず高齢者にふさわしい仕事はまず見つからないだろう。
でも、昔あったように、職業訓練を受けて報酬を得られないだろうか?
今はそんな仕組みはなくなったのだろうか?
調べて見る価値はあるかもしれない。

二番目のシルバー人材センターだけど、ホームページを見てみたが仕事がないらしい。
もしあったとしても、ボランティアに毛が生えたぐらいの報酬になるらしい。
そして、最後のボランティアだけど、これは無報酬が当たりまえだ。
しかしその中に、介護ボランティアというものがあった。
この制度は、ボランティアをすることでポイントが貯まる。
そして、その貯まったポイントが介護保険料として使うことができるらしい。
今は介護保険料は年金から差し引かれている。
その引かれる金額が少しだけ、少なくなるというわけだ。

あとから思いついたけど、第四の手段があった。
それは、インターネットを使って利益を上げる方法である。
まずは今のようにブログを書いて、そのブログをGoogleに審査してもらう。
いわゆるグーグルアドセンスを使う方法です。
初期投資もいらないし、悪くない。
というわけで、今回はこの四番目の方法に挑戦してみようと思います。
では、これからしばらくは、この前期高齢者になった男の戯言、をもっと人の役に立つようなブログにすることが大事になってくる。
場合によっては、テーマも変えましょう。
馬鹿な男の戯言ではなく、誰かの役に立つサイトにしようと思います。
この老化した脳みそをどうすれば活性化できるのか、大変だろうなあ。

 

はるか昔に聞いたようなきがする。

お題「自分を励ます言葉」

褒めてくれる言葉はだいたい励ましになるのだろうか?
ひとりで住んでいると、褒められることはない。
だから励まされることもない。
自分で自分に言えばいいのだろうか?

そう云えば何処かで聞いたことがある。
「自分で自分を褒めたい」
あれは、オリンピックでの話だったかな。

でも、自分は自分を褒めるだけのことは何もしていない。
できてもいない。

がんばったねぇ。
強かったねぇ。
よく我慢したねぇ。
頭いいねぇ。
賢いねぇ。
よくできたねぇ。
うまいねぇ。
上手だねぇ

全部、もう何十年も聞いていないような言葉だ。
いつか耳にする時が来るのだろうか。

小さな夢をありがとう。

このブログを読んで、まだこの国は助かるのではないか?そう思った。涙腺まで緩んでしまった。
これを読んで恥ずかしくならないような生き方ができればいい。小さな理想だけど。

「あったものをなかったものにできない。」からもらった勇気 – キッズドア 渡辺由美子 オフィシャルブログ

Linux

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昨日はバイクのオイル交換に出かけました。
自分でやればできるのでしょうけど、ついでに空気圧とかも見てもらえるので販売店にお願いしています。
そろそろタイヤの交換時期が、近づいていることも教えてもらいました。
その後、図書館に行って絵を描いてみたいと思いだしたので、参考となる本を見て回りました。
アクリル絵の具のことなども調べてみました。
でも予備知識の前に、まずは描いてみることが大事ではないのか。
手法は描くことで身についたり、あみ出せるのではないかと思ったのでやめました。
相変わらず、移り気です。
その後、Linuxに関する図書を探しましたが2冊しか見つけれれませんでした。
そして、その2冊を借りてきました。
MS-DOS時代と少し似たところがあるので見よう見まねでやって見ようと思います。
そのうち、Windowsもどうなるかわかりませんし。
今できることを身に着けようと思います。

叱られた記憶。

私はほとんど毎日、誰とも口を利かない日常を送っている。
でも、そんな日常からちょっと離れてみようと思って、雑踏の中に出かけた。
その時一冊の文庫本を適当に持っていった。
偶然のなせることなのか、その本は五木寛之の「他力」という本だった。
そして、いつもと違う雑踏と喧騒の中でその本を開いて読んでいた。
すると読んでいるうちに、その本の中の「他力」という言葉がが膨れ上がってきて、仁王のように大きくなった。
そしてあろうことか、その仁王は突然拳を振り上げて僕の頭を殴りつけた。
そして、こう言った。
「お前は一体ここで何しているんだ!」
そこではっと気がついて、本当だ、私はここで何しているのだろうか?
と、うろたえた。

そういえば昔、同じように「お前はここで何をしているんだ。」と言われたことを思い出した。
あれはまだ二十歳台のころ、私はある山岳会に属していた。
その山岳会は練習も規律も厳しくて、時々耐えられずに逃げだしたくなっていた。

いつも練習のために、登る登山道の途中に、小さな山小屋がひっそりと建っていた。
そこのオーナーは、毎週週末に家族を伴って、その山小屋を運営していた。
時々僕は、その山小屋に足を運び、そこの子どもたち二人とよくふざけたりして遊んでいた。

そしてある日、同じように遊んだあと、ランプの明かりの下で夕食をとっていた。
すると、偶然に僕が所属していた山岳部の先輩がこの山小屋に立ち寄って、オーナーと話をはじめた。
その時、そのランプの明かりのもとで僕を見つけていった言葉がそれだった。
「お前は一体ここで何しているんだ!」
登山の練習もせずに、こんなところで何しているんだ、と言う意味である。

そしていま、喧騒の中にいながら、あの時の叱られたことが鮮明に蘇ってきた。

人の記憶の中には、計り知れないほど様々な記憶が刻まれているものです。
そんな記憶が突然蘇ってくる不思議さ。

そんな自分の力の及ばない何かの力が仏教でいう「他力」というものかも知れない。
もう一度、この本をじっくり読んでみようと思いながら帰路についた。

おわり(^o^)