今朝もこの電脳箱の調子が今ひとつ良くない。
電源をいれると、勢い良く冷却羽が回り、立ち上がらない。
そこで、電源開閉器を長押しする。
すると、電源が切れる。
しばらくして何度か繰り返すが、立ち上がらない。
そのうちやっと、通常の立ち上がり方を始める。
原因が何なのかはよくわからない。
もちろん機械が古いということは承知済みだ。
電脳箱は、日本電気の仕事用のお友達で、自由市場で手に入れたもの。
発売日を検索してみたら、2007年10月10日ということがわかった。
このくらいの古い物でも自分にとっては、十分使える。
そのうち完全に壊れたら、また新しく、と言っても、中古品だけど探すことにしよう。
ここまで、カタカナはこのカタカナしか、使っていない。
中国であるなら、漢字しかないので仕方がないけど、日本語は何でもありだ。
その柔軟性や、融通性が高いから、面白い。
それと関係があるのかわからないけど、虫の音が聞こえるのは日本人とポリネシア人だけとか。
物理的には聞こえているのだろうけど、ただの騒音としてしか認識しないらしい。
その理由は、日本語というものにあるらしい。
日本人でも、外国語で育つと聞こえないらしい。
外国人でも日本語の環境で育つと聞こえるようになるとか。
言語というものは、大きな影響を持っているのですね。
それでも、国会中継を聞いていると通じないというか、逃げ回っているというか。
どうでも解釈できるというか、方便が効きすぎるというか。
心のこもらない言語は、言語の役目を果たさないようです。
真摯な、正直で誠実さというものは、鎧や盾の中に隠して仕舞っておく。
そして、ヘラヘラとした笑みをたたえて腕組みする。
野党の質問中に、トイレに立って会議室に帰ってきては大きくズボンをたくし上げる。
こんな態度に誠実さというもは微塵も感じられない。
これがこの国の最高会議の実情です。
これは、呆れるより笑うしかないです。