前期高齢者でヤモメの下流老人の戯言

申し訳ありませんm(_ _)mペコリ、こんなブログで。

生産性に対する戯言

 生産性という言葉に惑わされています。
意味は、何かを生み出す力、その効率性ということでしょうか。
例えばアップルのアイフォンやアマゾンのEC、グーグルの検索を始めとした、あのような変化と発展が、どうして日本の企業にはできなかったのか?

 何が障害となっているのか?容易に想像できることは、柔軟な発想とそれを伸ばすための挑戦力と後押しや決定権。そうゆう力が日本の企業には欠けているのではないだろうか?
 たぶんそうゆう力が日本企業内部では育っていないのではないだろうか?そこから変える必要がる。それを企業経営者は怠けてきたのではないだろうか。社員の能力を磨けば新しいものが出来上がると信じて、そちらにばかり注力してきたのではないだろうか。
 いま私は日本語の力に興味を持っている。だから、このように文章は縦書きで綴っている。もしできるなら、毛筆を使って書きたいとさえ思っている。
こうして縦書きをしてみて思うのは、できるだけカタカナ英語は使いたくない、そうゆう思いがする。
 日本語には象形文字の漢字も、ひらがなも、カタカナもある。これなんかはアルファベット圏の人から見たら驚くべきことでしょう。我らがたった二四文字でできることを、日本人は信じられない文字数で表現している。このことはきっと彼らから見ると、とても生産性が低いこと判断するだろう。なんと効率の悪いやり方だと。
しかし、それほど複雑な言語であるということは、そっれほど多くの表現が可能なのではないだろうか。
非効率であるということは、面白さに通じるかもしれない。それに、可能性が多岐にわたっているということも言える。
 最初に書いた日本企業に対する批判と矛盾するような内容だけど、少し違う。
必要な企業の柔軟性と、日本語の柔軟性は一致するわけだ。このとおり、日本語はどんな外国語にも柔軟に受け入れることができる。
しかし、日本企業は変化を容易に受け入れる柔軟性を失っている。
日本企業も日本語の長所である柔軟性に学ばなければならないと思う。

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