下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

戯れ言と妄想

先日、Ubuntu16.04から18.04にアップグレードしませんかという案内がきました。
新しい物好きなので早速挑戦しましたが、どうも失敗してしまいました。

年寄りでコマンドなどの操作もわからないから、結局最初から入れなおしたわけです。
そして、また環境作りを兼ねながら少しずつ知識を増やそうとしています。
少しずつカスタマイズも、僅かですが加えながら。

これほどのOSを無料で使えることに驚愕しながら。
じゃああのWindowsとはいったい何だったのだろうか。
いまでも使って入るけど。

Linuxを作り普及させた人たちの行為はいったい何だったのだろうか。
その違いに驚きます。

今の資本主義社会と、それとは違うものの社会まで想像させるのです。
自分の頭脳を使って、富を得るのではなく、社会のみんなが自由に何かを得られる。
そのために尽くすほうが大事だという哲学なんだろうか。
もしそうなら、ついつい頭が下がってしまう。

もしそれと同じような考えの社会が築けたらどんな社会になるのだろう。
以前、福岡で餓死した人が、オニギリを食べたかったと言い残したことがあった。
今でも餓死する人が時々ニュースになる。
そこで、突飛な意見だけど、コンビニに無料の塩オニギリを置けないのだろうか。
そうすれば餓死しなくて済む人がいるかもしれない。

憲法生存権、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
餓死の防止対策は、その最低限度よりかなり低い程度かもしれない。

その塩オニギリに、どれほどの費用がかかるかは知らない。
たぶん、軍備を拡大する費用で補えるぐらいではないのだろうか。
どこかのコンビニで廃棄される食べ物があると聞く。
その期限切れの食べ物をホームレスに手渡すような話も聞いたことがある。

善意のあるどこかのだれかが、始めることができれば、それはまるでLinuxだ。
そんな、他愛のないことまで考えさせてくれた今回のOS騒動でした。