下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

存在理由

人は年を取ってくると、あと何年生きられるだろうかと考えたりする。そして、一体自分は何のためにこの世に生を受けたんだろうかとも思う。ここまで生きてきた意味は何だったんだろうかとか、様々なことを思ったりする時がある。

できるなら、困った人がいたらその人のために役に立てるのなら、役に立ちたいとも思う。直ぐ近くにそんな人が見つからなければ、一国民としてできることはこの国が少しでも優しい国になって欲しい思う。

新聞ニュースを見ていると、力のある権力者にかしづき、おもねて仕事をしている人がいると聞く。世の中は要領よく生きたほうがいい生活ができるとでも思っているのだろうか。そして、恥ずかしいことにその人は女性を力と金で辱めていたらしい。でもいまは陽のあたる場所に出てこれなくなってしまった。しかし、信じられないことに、その犯罪を権力者がもみ消すなどということができる国になっているようだ。気がついたらそこまで堕落した国になっていたのに愕然とする。

歳を重ねてほとんど力は何も残っていない、非力ではあるがそんな世の中を正すことができるなら、そうしたい。相手がどれほど大きく強いものであろうとも、悪いことは悪いと言い続けて死んでもいい。政府の都合の良い法律の元、もし、言論の自由がなくなっても、老い先は短い。声を上げながら獄中で果ててもいい覚悟を持ちたい。それが自分がこの世に生を受けた証であるならそうしてもいい。