下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

叱られた記憶。

私はほとんど毎日、誰とも口を利かない日常を送っている。
でも、そんな日常からちょっと離れてみようと思って、雑踏の中に出かけた。
その時一冊の文庫本を適当に持っていった。
偶然のなせることなのか、その本は五木寛之の「他力」という本だった。
そして、いつもと違う雑踏と喧騒の中でその本を開いて読んでいた。
すると読んでいるうちに、その本の中の「他力」という言葉がが膨れ上がってきて、仁王のように大きくなった。
そしてあろうことか、その仁王は突然拳を振り上げて僕の頭を殴りつけた。
そして、こう言った。
「お前は一体ここで何しているんだ!」
そこではっと気がついて、本当だ、私はここで何しているのだろうか?
と、うろたえた。

そういえば昔、同じように「お前はここで何をしているんだ。」と言われたことを思い出した。
あれはまだ二十歳台のころ、私はある山岳会に属していた。
その山岳会は練習も規律も厳しくて、時々耐えられずに逃げだしたくなっていた。

いつも練習のために、登る登山道の途中に、小さな山小屋がひっそりと建っていた。
そこのオーナーは、毎週週末に家族を伴って、その山小屋を運営していた。
時々僕は、その山小屋に足を運び、そこの子どもたち二人とよくふざけたりして遊んでいた。

そしてある日、同じように遊んだあと、ランプの明かりの下で夕食をとっていた。
すると、偶然に僕が所属していた山岳部の先輩がこの山小屋に立ち寄って、オーナーと話をはじめた。
その時、そのランプの明かりのもとで僕を見つけていった言葉がそれだった。
「お前は一体ここで何しているんだ!」
登山の練習もせずに、こんなところで何しているんだ、と言う意味である。

そしていま、喧騒の中にいながら、あの時の叱られたことが鮮明に蘇ってきた。

人の記憶の中には、計り知れないほど様々な記憶が刻まれているものです。
そんな記憶が突然蘇ってくる不思議さ。

そんな自分の力の及ばない何かの力が仏教でいう「他力」というものかも知れない。
もう一度、この本をじっくり読んでみようと思いながら帰路についた。

おわり(^o^)