下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

好き嫌いは許されるのか?

誰でも嫌いな人とは付き合いたくはない。
でも、ある責任を負ったものには、許されないのではないか。
同じ国民の政治的頂点に位置する人なら。
嫌いであっても、話し合いに誘導する努力は必要ではないのか。
相手が、門戸を閉じていたら少しづつ開かせる努力もして良いのではないか。
いつでもこちらの門戸は空いているから、門戸を開かない相手が悪いと済ませていて良いのか。

プーチンさんには、プレゼントを用意して二人っきりで話をする。
トランプさんには、まだ大統領にもなっていないのに、一番先に擦り寄る。
それほどの外交力を持ち合わせているのなら、どうして習近平と交流できないのか。
やがて、中国は大国になることは否めない事実である。

そうであるなら、国益としてただ対立を強化するだけで良いのだろうか。
お互い軍事費を増やしていっても、やがてその差は広がる。
その軍事力に勝ったものは、やがてその力を誇示しだす。
そこに平和という希求の望みが窮地に立たされる。

そうならないために、これからどうすることができるのか。
それを考えることが、これから求められているのではないか。
お互い国民の代表であるなら、話し合える努力を続けて欲しい。