下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

新しい目的

人は目的がないと生きてゆけないのか。
僕はカミさんが亡くなって三人の子供を育てなければならなくなった時、一つの目的を打ち立てた。
もうこの際、名誉も金も誇りも何もかも全部捨ててしまおう。
そしてたった一つの目的に向かって頑張ろう。
そう決意し、覚悟した。

そのたった一つの目的とは、三人の子供を社会の迷惑にならない大人に育てよう。
自分はそのためだけに、この地上に生を受けたのだ。
そうゆう覚悟を持って子育てすることにした。

まるで競走馬の目の横に遮蔽物(ブリンカーというらしい)を付たかのように。
目の前に見えるのは、ただ育児という言葉だけ。

そしてあれから19年が過ぎた。
当時0歳だった子が19歳になって、残り二人の子もみんなこの家を出てしまった。
すると、唯一の目的であった育児という目標が忽然と姿を消した。
いや完全に消えたわけじゃなくて、今でも小遣いと称して僅かだが援助もしたりしている。
老いた親ができることは「お金に不自由はしていないか?」という心配だけになった。

ほとんどの直接的な育児はしなくてもよくなった。
そうなるとこれまで勤めてきた、育児という目標は影を潜めだした。
そして大きな目的を失って、糸の切れた凧みたいな生活が始まっている。
そんな生活を送っていると急に老けやすくなるらしい。

そうならないためには、どうにかしてまた新しい目的を探すべきだろうか。
それとも、もう目的を持たない、はぐれ雲のような生活を送るか。
そんなことを思案しているこの頃である。