下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

どうしてブログをやっているのかというと

やはり、情報を受け取るだけじゃなく発信もしたいからだったと思う。
でもいざ始めてみると、他人のブログを読んだりネットサーフィンばっかりしている自分がいる。
ネットの中にはあまりにも多くのサービスが存在していて、どうしても受け取ることが多くなってしまう。

そして、この年令になってくると、自分の興味のある情報より、興味の薄い情報がほとんどを占めている。
たぶん僕ぐらいの年齢の人の占めるインターネットの利用者は多くて20%ぐらいだろうし、少なく見積もったら10%にも満たないかもしれない。

じゃあ仕方が無いので、同じ年代が集まっているサイトを探して、そのシニアの人だけの世界で生きればいいのか?
というと、それもつまらないような気がする。
たぶん話の会う同年齢層の人と交流するのは楽しいだろうと想像する。
しかし、それだと新しいものを見つけたりするには不便なところもあるだろう。

いくら歳をとっても、何故か新しいモノ好きなんですね。
この世の中がどうゆうふうに動いてゆこうとしているのかを、いつも知りたいという欲求はあります。

今月で64歳になりました。
今年の4月に一番経済的負担の少ないバイクの免許を取りました。
そしてすぐに安いバイクを買いました。
今月で仕事を辞めます。

8月からは、死ぬまで終わらない夏休みの始まりです。
まずは近場からソロツーリングキャンプを始めようと思っているところです。
軌道に乗ったらフェリーを使ったりしてまだ行ったことの日本の地へ旅立ちたいものです。

芭蕉奥の細道より
月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて漂泊の思やまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひてやゝ年も暮、春立てる霞の空に、白川の関越えんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取る物手につかず、股引の破れをつづり笠の緒つけかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかゝりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
 「草の戸も住みかはる代ぞ雛の家」

これに比べたら比較にもならないほどの恵まれた環境での旅だ。
しかし、交通が発達した今、交通事故にあって死ぬ可能性がないこともないだろう。

旅の手段として最も味わい深いのは徒歩での旅、その次が自転車の旅、その次がバイクの旅。
そして車中泊での旅がその次だろうか。
不便を強いる旅の手段が一番旅の真髄に叶っているということは道理だろう。
スマホナビとノートパソコンがあっても。