下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

3月から働き始めました。

この歳になって、まさか仕事が見つかるなんて思っていなかった。

だから、タクシーの乗務員か警備会社の警備員ぐらいしか見つからないと思っていた。

実は、警備員は半年間続けたけど、続かなかった。

朝4時に起きて、5時にうちを出て帰り着くのは何時になるかわからなかった。

食事を摂る時間も、トイレにゆく時間も細切れの数分の時間しかなかった。

毎日の食事は、コンビニのおにぎりをポケットに入れて食べていた。

雨が降っても、雷がなっても、直射日光で地面の照り返しが目に突き刺さる。

それでも立ち尽くさなければならない仕事だった。

支給されたサングラスをつけていても、夕方になると涙がボロボロ流れてきた。

その涙が目薬みたいに、目に染みて気持ちよかった。

ある日、子どもと約束していた誕生日の日、上司の急な残業の指示に歯向かって口論になった。

そしてその仕事をやめることにした。

それからハローワーク通いが始まった。

失業給付金は3ヶ月過ぎた後になる。

どうしても働かないと生活に困るので、次から次へと求職を申し込んだ。

でも、求職先に電話で年齢を相談員が告げると、その場で断られた。

面接までしてくれるところは、稀だった。

そしてある老人ホームの介護の仕事、それも夜勤専門のシゴトに申し込んだ。

そして面接したが、まったく介護の経験のない老人に務まるはずもない。

そして、断りの文書が郵送されてきた。

実はその面接の時に、僕の家庭の事情を尋ねれれたので簡単に話したのだった。

家内を15年前に亡くし、乳幼児3人をひとりで育ててきたことを。

そのことを担当の方が覚えてくださっった。

もし良かったら、こうゆう仕事があるので、報酬は少ないが働きませんか?

そうおっしゃったので、飛びつきました。

ただ今は、社会保険があるだけでそれ以上の待遇は身に余る厚遇です。

そう伝えて、感謝を申し上げました。

そして今、働いています。

老人ホームの介護の仕事です。

介護員の方々の指示で、雑用をしています。

はじめての経験だらけで、高齢者の方々の名前も職員の名前もまだ覚えきっていません。

今できることは、従順に皆さんの指示に従うこと。

それだけです。

でも、これで生活が保てます。

この職場の採用者にどれほどの感謝を表したらいいのか、毎日考えています。