下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

もう1月も半分が過ぎた。

さて、たぶんこの冬の寒さも半分ぐらいは過ぎようとしている。

山屋が言うには、ふつう厳冬期といえば、12月、1月、2月を指すらしい。

だから1月の真ん中が冬のど真ん中といえる。

今年の冬は殊の外寒かった。

地球は炭酸ガスの排出量の増加で、温暖化しているというのに、この寒さは一体どうゆうこと?

そんな疑問を気象学者たちにぶつけたくなりました。

まだ僕の住んでいる地域は温暖な位置にあるわけだから、寒い雪国に住んでいる人に比べたら、何云ってんだ!と怒られるかもしれませんが。

さて、このごろなにか感じたことはないかな?

そうですね、この地球がもしも日本だけの地球だったら、と言う仮定で考えてみよう。

以前にも、この地球が数人の世界だったらと、云ったような本が出たらしいと記憶している。

ちょっと似ているけど、もうすこし多くの人口にしましょうか。

江戸時代には日本は建前としては鎖国をしていたわけでした。

それでも、いまの基準ではなく当時の人々の感覚としてはどうだったんでしょうか。

人を思いやり、悪を遠ざけ少しでも善人として生きてゆこうとしていたのでしょうか。

貧乏で粗末ながらも助けあって分けあい生きていた。

もちろん比較すれば不満もあっただろうけど、それなりに自分の生まれた境遇の中で一生懸命生きていたのかもしれないと思う。

いまこのアジアの中で他国と渡り合い、様々な摩擦を生みながらグローバルな環境に身をおいてる日本。

ときどき、もう出来る事なら日本の中だけで経済を維持し、いまの生活基準を維持できるなら、それでもいいと思ったりもする。

他国がどんなに困ろうが、他国の中でいざこざが起ころうが我関せずと。

もちろん日本に好意を持ってくれている国とは、それなりの付き合い方をすれば良い。

でも、いくら謝っても聞かずに昔の罪を掘り出して、日本を憎み続ける国と付き合うのはもう疲れました。

しばらくは絶交してもいい、出来る事なら。

しかし、それが叶わない世界になってしまっている。

いくら理不尽だと思っても、お付き合いは続けないとならない。

それを拒むと、世界的な観点から潔しとしない評価を受けるだろう。

だったら、表面的はそれを踏襲して、内面ではある程度の距離をおくしか無いのかも。

もちろん国は様々な国民の集合体ですから、話の分かり合える国民同士はお近づきになり交流することに何の異論もないけど。

やがて民間の交流から、大きな交流に発展してゆき、何だ人間なんてみんな基本は同じなんだ。

ただ国の体制が違うのでその枠内で振り回されているんだ、と気づけば少しは良くなるのかもしれない。

難しいけど、いまは耐えるしか無いのかもしれないです。