寛大な心と許す心がテーマのこのブログ。
そのブログの持ち主が、過去の暴力を許せないと書いている。
ここは矛盾していると、書いてから思った。
じゃあ、その暴力や体罰を許せるのか?
と聞かれたらやはり許せない。
どうにかして許す方法はないものか、考える。
時間?
昔はそうゆう時代だったから、で許せるか?
僕がそのことを許せるとしたら、僕の器は大きいいのか。
許せないと固執するなら、僕の器は小さいのか。
僕の心の器が大きいか、小さいかでそのことに何の意味があるのだろうか。
自分は自分、他人からどう見られようが意味のないこと。
ただ自分に対して、正直に許せるかどうか。
許せる、許せないという二者択一でもあるまい。
どこまで許せるか、といった程度問題でもある。
ブログテーマとは違うが、世の中には許せないものもある。
まったく、ほとんど、だいたい、少しは、許せるものもある。
デジタルではなく、アナログです。