下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

今年はじめての書き込み

今日でもう4日目だというのに、初めての書き込みとなりました。
年末年始、何をしていたかというと特に変わったことをしていたわけではない。
なのに、ブログを更新しなかった。
その理由を強いて探すなら、ただ周りが慌ただしかったというのが理由だろうか。
周囲のせいにするところなんか、情けないが仕方ない。

さて、どうして年賀の挨拶は「あけましておめでとう」なのだろうか。
なんと、そんな疑問をもつことになった。
新しい年になることは、おめでたいことだというのだ。
その訳は、過ぎた去年は今になってどうすることもできない。
でも、新しく来る一年はまだどんな年になるか決まっていないので、自由になるのかも。
そんなはかない理由からおめでたいと思うのだろう。
だから、あけましておめでとうという人は、その当人がおめでたい人のように感じる。

良く新しい年を迎えると、今年の抱負は?なんて聞かれる。
僕の場合は、そんなものはありません、と答える。
別に誰がどんな抱負をいだこうが、それは本人の自由だからいいのだけど。
僕の場合、目標や抱負を持つと窮屈になるような、そんな気がする。
例えば民主党マニフェストのように、後生大事に祭りあげると変えることができない。

時代が変わってきても、流れが変化してきても融通が効かなくなる。
そう簡単に決めたことを変えるなんて、とんでもないことだ。
きっとそうゆうことになりそうだ。
だから僕は、取り立てて今年はこうするんだ、なんてことは表明しない。

ケセラセラでいいじゃないか。
その一瞬一瞬を真剣に考えていけば、その一瞬の連続がやがて一年になるのだし。
結局怠け者の遠吠えみたいなそんなものだと考えてもらえばいい。
ということで今年最初の書き込みは、予想していたとおりお粗末な話になりました。