下り坂を楽しもう

人生を折り返して、下り坂も終わりに近い爺の戯れ言

テーマを変えました。

この年まで生きてくるといろんなことを経験しました。

そのなかには、心のなかにシコリみたいに残ったものがあります。

シコリというか、刺さった棘と言ったらいいのか。

それは自分が小さい人間であったがために、他人を傷つけてしまったということだ。

例えば組織や仕事の中で、自分の立場を守るために言ったこととか。

まるでいじめにも似たような言動を発したこともあった。

では今になって、どうしてその罪を償えるか考えてみる。

だいぶ時間がたっているので、その人に謝ることもできない。

もちろん今どこにいて何をしているかも知れないわけだけど。

ではどう償えばいいのだろうか。

それは、こう考えられるのではないだろうか。

僕が犯した罪は、実は誰しもが少なからず犯しているのではないだろうか。

僕だってこれまで嫌な思いをたくさんしてきた。

だったら、それを寛大な心で許すことで己の罪も償えるのではないだろうか。

そう考えました。

話は飛ぶけど、いま日本の周辺国とあまりうまくいっていません。

周辺国である彼らの言うことは、いつも戦争の罪や償いの事になる。

まるで僕が犯した過去のいじめにも似たような心のしこりと一緒だ。

だったら僕個人が考えたように、過去に戻って償うことなど出来ないわけだ。

だから結論はそれと一緒で、周辺国の言動も寛大な心で許すしかない。

お人好しだと言われても、馬鹿正直だと言われても。

この宇宙のような大きな心を持って許すしかない。

この地球で起きているさまざまな紛争を解決するためにも、みんなが黙って許すほかない。

許す価値というものから考えてみる事で何かが見えるかもしれない。

ということでこのテーマに変えました。