若者たちは知らない間に騙されている。
自民党ネットサポーターズクラブの力によって。
でもそのことを若者は知らない。
人は年を取ってくると、あと何年生きられるだろうかと考えたりする。そして、一体自分は何のためにこの世に生を受けたんだろうかとも思う。ここまで生きてきた意味は何だったんだろうかとか、様々なことを思ったりする時がある。
できるなら、困った人がいたらその人のために役に立てるのなら、役に立ちたいとも思う。直ぐ近くにそんな人が見つからなければ、一国民としてできることはこの国が少しでも優しい国になって欲しい思う。
新聞ニュースを見ていると、力のある権力者にかしづき、おもねて仕事をしている人がいると聞く。世の中は要領よく生きたほうがいい生活ができるとでも思っているのだろうか。そして、恥ずかしいことにその人は女性を力と金で辱めていたらしい。でもいまは陽のあたる場所に出てこれなくなってしまった。しかし、信じられないことに、その犯罪を権力者がもみ消すなどということができる国になっているようだ。気がついたらそこまで堕落した国になっていたのに愕然とする。
歳を重ねてほとんど力は何も残っていない、非力ではあるがそんな世の中を正すことができるなら、そうしたい。相手がどれほど大きく強いものであろうとも、悪いことは悪いと言い続けて死んでもいい。政府の都合の良い法律の元、もし、言論の自由がなくなっても、老い先は短い。声を上げながら獄中で果ててもいい覚悟を持ちたい。それが自分がこの世に生を受けた証であるならそうしてもいい。
芸能人たちの間で少しは名の売れた芸人たちが安倍政権のどこが悪いのかわからない、などと政権を擁護している記事がニュースなどで流れている。
これは、すべてのことで言えることだが、いま現在この社会の中で恵まれている人、例えば高収入を得られている人たちは、いまの体制が変わってほしくないと思うのは当然でしょう。
だから、できるならどうにかして、いまのまま、体制が変わることを防ぎ、続いていってほしいと思うのは芸人であってもなんら不思議ではない。
反対に、今の社会の中で苦しい思いをしながら、どんなに働いても辛くて貧しい生活を送っている人たちもいる。そうゆう人たちにとっては、どうにかしていまの体制が少しでも変化して欲しいと思うのも理解できる。
次第に格差が拡大して、裕福な人や資産をより多く持っている人に、より多くの資本が流れるのが今の社会体制である。 もちろん、これが資本主義社会である事実は変わらないわけだが、少しでも体制が変わって貧しさで苦しんでいる人が、わずかでも生活しやすくなって欲しいとは思う。 これも、まるっきりわからない話ではないが、しかし、中には自己責任論で片付けたい人たちも少なからず存在している。
それだけではなくて、なかには自分自身の経済的な理由だけで判断せずに、何が正しくて、何が正しくないのかという判断をしようと努力している人もいるのではないだろうか。
その正義という判断は極めて難しいが、いくら法律を犯していないとは言え、やはり権力を持ったものは、疑われるようなことをするべきではない。
ひとりの人間として尊敬を集めるような人格を持った人が、これまでの政治家には何人かいたと思う。 そういった政治家は自分の中に哲学を秘めていた。 彼らは世界のどんな首脳とであっても、人間と人間として何かしら深いところで、お互いが尊敬できるものを得ていたように思う。 上辺だけの、見せかけの関係ではなかった。 例えば、大平元総理とカーター元大統領のように、二人の間には深い人間関係が築かれていたように思う。
決して、自分の意見だけを述べるだけで、相手の人の立場まで理解しようとしなかった政治家はいなかった。 そして、いつでも扉は開かれているなどと、うそぶいているような政治家もいなかった。
公平さというものの意味がわからず、卑近な自分に近いものだけに自分の権限を使って利益をもたらすという行為。それに、なんの疑問も持たない人間は、やがて寂しい人生を送るような気がするが、どうか危惧であってほしいものです。
この時代の若者は常に何かに反抗していた。 反抗することが若者の特権だった。 彼らの目はいつも何かを睨んでいた。この社会にある理不尽なもの、不正ないかがわしいものを。 大人の傲慢さや権力者たちの横暴を許さなかった。そして見逃さなかった。 もし見つけると、己の非力さも厭わず、野犬のように噛み付いた。 中には世界革命を理想とするものも現れ、学生運動も日常的な社会に変わっていった。
若者だけではなかった。 空き地で生まれた野良猫の子猫さえもが逆らった。 まだよちよち歩きのくせに、人間を見ると威嚇した。 あの小さな口の隙間から息をフーッと吐いて眼の前にいる大きな人間を威嚇した。 猫は愛玩のために飼われるわけではなく、害獣を駆除するために飼われた。 餌は麦飯に味噌汁をかけたねこまんまだった。 当時はキャットフートなんてものはなかった。 人間が食べ残した魚の骨があればいいほうだった。 肉が食べたかったら自分でネズミを捕るのは当たり前。 そうして、人間と猫との関係は相互利害で成り立っていた。 猫に追い詰められたネズミでさえも、猫に歯向かっていくのを目の当たりにした。 猫はそんなネズミを手玉にして、遊びながら狩りのしかたを覚えていった。
平成の若者の口には牙が消えていた。 先の時代が「理由なき反抗」なら、今は「理由なき従順」だろうか? 強いものにかしづき、権力者におもねる。 不正や理不尽な事象には目もくれない。 自分には直接関係ないことだと。 卑近な場所が楽しければそれでいい。 働いて収入があればそれでいい。 何も自ら危険を犯す必要はない。 社会の中で困難にあうとメンタルが壊れたと引きこもる。 だから反抗なんてダサいことはしたくない。 いつの間にか猫も愛玩動物になり、キャットフードをもらい、猫なで声で飼い主の足にまとわりつく。 若者も猫たちのように愛玩されることを好むかのようだ。 そんな若者を手のひらの上で転がしながら、為政者たちの横暴は続いてゆく。
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まさか、空から車がぶつかってくるとは想像できませんね。
わたしたちが考えているより、車というのは意外と軽いのかもしれない。
よく、雨がたくさん降ると、アンダーパスや河川敷の車がプカプカ浮いて流れます。
あれなんかを見ても、わかります。
台風シーズンになると、大きなトラックが風に煽られて、横倒しになるということもよくあります。
スピードに乗った車は、ちょっとしたことで、このように人の高さよりも高く舞い上がるのです。
まるで映画のワンシーンのような映像でした。
高齢者のプログラミング記事です。
たぶん、言語をある程度マスターすれば簡単なプログラムは組めるようになると思う。
そのためには、論理的な考え方が必要でしょうけど。
目的が大きなものになってくると、体系づけて組み立てないといけないはず。
ここに出てくる皆さん、ある程度基礎的な力を備えておられるようなきがする。
英語にしてもそうですし。
自分もプログラミングの勉強をしようと考えたことがある。
パソコンが普及し始めたころ、ベーシック言語をさわったことがある。
自分の仕事に合わせて、いろんな計算をさせる簡単なプログラムを作ったこともあった。
でも結局、素人は素人なんですね。
組織で複数の人が作るものには太刀打ちできません。
エクセルでマクロを組むこともプログラミングの一種でもあると思います。
この年になって、これからいろんな言語を勉強しても、なんの役に立つの?
ゲームが楽しい人は作ればいいと思うけど。
しかし探せば、すでにフリーのゲームでもたくさん巷には氾濫している。 何も自分で幼稚なゲームを作ってもしょうがないではないでしょうか。 仕事を持っている人は、何かの役に立つかもしれないけど。
そんなものより、まだHTMLやCSSを覚えて、HPやブログなどを好きなようにカスタマイズしたり、デザインをいじったりするほうが面白いと思います。
こんなに早くメール返信が返ってくるとは思っていませんでした。 内容は以下のようでした。
メールをいただきありがとうございます。
受信相談についてのお問い合わせは詳細をお聞きする必要がある場合がございますので、>メールではお受けしておりません。申し訳ございませんが、お電話にてご連絡をお願い します。
▼電話受信相談窓口 電話
▼お客様のお使いの電話からナビダイヤルにつながらない場合は (*マイラインやIP電話をご利用の場合など)下記の番号におかけ下さい。
・東日本(北海道、東北、関東・甲信越 東海・北陸)
電話
・西日本(関西、中国、四国、九州)
電話
■受付時間 9:00~20:00(年末年始12/31~1/3休み)
今後とも、NHKをご支援いただきますようお願いいたします。 お便りありがとうございました。
NHKふれあいセンター(放送)
今日は日曜日です。
てっきり県下の放送局にメールが送られたのかと思ったら、東京の本社に送られていたようです。
ふれあいセンターには常時担当者が待機しておられるのでしょう。
ご苦労さまです。
では、明日にでも、電話で連絡してみることにします。
今日、NHKにメールを送りました。 メールの内容は、わたしの住んでいるところはFMラジオが聞けないから困っていると。
知ってましたか、今時のラジオはこんな機能があるのです。
FM補完放送 AMラジオの放送対象地域において、災害や難聴対策を目的に同時に放送されるFM波も受信できる機能。
この機能を使ってふつうのAM放送をFMで飛ばしたりしています。 ときには、AM放送の試験のために放送できないからFMで聞いてください、なんてことを言います。 しかし、FMの電波が受信できません。自分でコードを張り巡らして、アンテナを作って受信するとやっと聞こえるようになります。しかし、普通のラジオの付属アンテナだけでは雑音が激しく聞こえません。 スマホのアプリでらじる★らじるを使えば聞けるんですけど、面倒ですし電池も持ちません。 やっぱり普通のラジオで聞きたいです。 そんなに音質にこだわる方でもないので、普通に受信できればいいのですけど。 もちろん市販している、FMアンテナを買って屋根かどこかにつけたら聞こえることは想像できます。でも一般の人がそこまでやる必要はないでしょう。マニアの人ならするでしょうけど。あと、チューナーのようなものを使えば音質もいいし、ステレオで聞けるのでしょうけど。 そこまでして聞きたくもありません。
さて、今後NHKさんはどうするでしょうか? 中継局とか、送信所の装置を調整することで可能になるのか、期待して待ちます。
それから、僕の持っているラジオのボリュームダイヤルが壊れかかっているのです。 回すとガリガリと大きな音がするのはまだいいのですが、ほとんど音量の調整ができなくなりました。そこで、処分して新しく買おうと思って物色していました。そして今日ダメ元でいいから接点復旧?剤をスプレーしてみようと探しました。しかし見つからなかったので、傍にあった雨具用の防水スプレーを使ってボーリュームに噴霧してみました。すると驚いたことに完璧に回復して、使えるようになりました。全く新品のようになりました。わからないものです。 捨てようとしたらラジオも驚いたようです(^o^) まだこれからも、大事に使ってあげることにします。
お金をたくさん持った高齢者が多くなったのでしょうか。 マイナス金利がもっと極端になると、お金を借りたらその借りたお金に利子がつきますよ。 借金は何もしなくても少しづつ減ってゆきますよ、やがてそんな時代が訪れたらすごいです。 すると、みんなが借金を始めるでしょう。 すると、景気は良くなるのかな。 それとも経済が破綻しますか。
金余りもここまで来たら、どうしたらいいのでしょうか。 それこそ、ヘリコプターマネーでしょうか。 経済学者は今何を考えているのか、知りたいものです。
今日は時の記念日らしい。
時を記念する日。
記念とは?
過ぎ去った物事などを思い起こすこと。
後日の思い出として残しておくこと。
言い換えると 過ぎ去った時を思い起こす日 これはわかる。
後日の思い出として時を残しておく日
時を残すことができるのか? できないでしょう。 時を貯蓄することはできないでしょう。 できるなら、溜め込んで販売すればいいけど無理です。
あくまでも「記念」とは過去のことなんです。 過去を振り返るのが記念だということです。
思い出したくない過去もあるし、思い出すと楽しい気持ちにさせれれる過去もある。
海の日とか勤労感謝の日とか、こどもの日とか建国記念日とかあるけど、どうして"時の日"ではなくて"時の記念日"なのだろうか。
いま調べたら日本の祝日のうち記念という文字があるのは、建国記念の日と憲法記念日の二つだけでした。
成人の記念の日とは言わないで、成人の日です。
昭和の記念の日ではなく昭和の日です。
みどりの記念の日ではなくみどりの日です。
わざわざ記念という言葉を付ける理由はなんだろう。
わかった、そうだ、最初にも書いたように、思い出しなさいということなんだ。
建国にしても、憲法にしても過去を思い出しなさいということか。
成人の日は思い出す必要はない、みどりの日にしても。
でも、昭和の日は過去だから思い出すべきなのに。
昭和記念の日でも良かったのではないだろうか?
話はややこしく脱線してしまった。
今日は「時の記念日」でした。 時はすべての人に平等に与えられていることは誰もが知っている。
えっ、本当なの。
寿命に長い短いがあるじゃないか。 このことは、時間を平等に与えられたと言えないじゃないか。
そうか、平等じゃなかったんだ。 でも、今日という一日で見たら誰にも平等な24時間だ。 その24時間をどう使ったら得をするのかしないのか。 その得という物差しはなんだろう。
答えはない。
それぞれが得という自分の物差しを持っている。
有効に消費したか無駄に消費したかは自分だけが知っている。
強引に、まとめたかな。
まだ時間がある。いくら年をとると寝るのが早いと言ったって、早すぎる。これから夕食を作って晩酌をゆっくりして、テレビニュースでも見ながらチビチビやる。今夜のツマミは鳥のささ身の、なんだろう、味をつけて片栗粉まぶして、炒めます。マヨポンです。クックパッドで教えてもらった料理です。
そう言えば、明日のレポート提出作業のために番組を録画していたのでした。録画していた番組を見なかったりするともったいないです。それに日にちが過ぎるとモニターとして受け付けないから気をつけます。明日なにかすることがあるというだけでもいいことです。 明日は、図書館から借りてきていた本も返却することにしよう。 ついでに、なにか借りてきたいけど、今日のうちに探しておけばよかった。今からでもいいかな。ブックレビューサイトでも見てみるかな。
今日も無為に一日を浪費してしまったようだ。でも、番組モニターをしているので、レポートを一つ提出しました。それでもいいとしますか。今月残りは5件ぐらいになるのかな。今月はなぜか、担当番組が月末に偏っているんだけど。あんまり作業に追われたくないんですけどね。
これから一ヶ月ぐらい続く梅雨を楽しむ方法は何かないかと考えているのですが、なんかないでしょうか。 かっぱを着て雨靴を履いて外を歩くとか、でも蒸れますね。 むかし、山などを本気で歩くと、かっぱの中も外と変わらないような状態でした。 あの頃は、ゴアテックスなんてものはなかったから。今はほかにも似たような素材があるみたいですが。 そういえば、バイクの中にそれらしきかっぱを積んでいました。今度かぶって雨の中を歩いてみよう。
インターネットの中に、60代のお一人様を探して見るのですが、あまりおられないようです。シニアという言葉で探しても40代とか50代とかなんですね。彼らはその年ですでに自分はシニアと思っておられるようですね。 せめてシニアと言えば60代からではないでしょうか。
高齢になればなるほど、ネットの中では少数派でしょうから、見つかりにくいですね。 むかし、パソコン通信をしていた人とか、MS-DOSを知っている人とか、CONFIG.SYS、とかAUTOEXEC.BATとかをいじっていた人はいるのかな。 過去を懐かしむようになったら、老人になった証拠だといいますけどね。
6月になるとちゃんと梅雨がやってきます。 誰とも契約したわけでもないのに、律儀に雨を降らします。
この雨がないと人間も植物もありとあらゆる地上の生き物が困るでしょう。 この自然というか、地球と呼んだらいいのかはたまた気象と言えばいいのか。 恐れ多いものだと思います。
日本語には畏怖という言葉があります。 よく畏怖の念を抱くと使われたりします。 意味は恐れおののくこと。
昔の人は自然に対して、畏怖の念を強く抱いていました。 恐れおののいていた。 だって、雷がどうして起こるのかも知らなかったし、台風がどうして発生するのかも知らなかった。 それに明かりは、うす暗い蝋燭でしか取れなかった。 今のように、むやみに明るい、蛍光灯やLEDなんてものはなかった。 だから夜はとても怖いものだったと思う。 そんな生活をしてたら自然に畏怖の念が湧いてくると思う。
現代人は科学の力でそれを乗り越えたと勘違いしている。
そして時々しっぺ返しを食らって泣きを見る。
人間よ、おごるなかれでしょうか。
梅雨がテーマだとこのくらいしか書けない。 いや、自分でかってにテーマを決めただけです。
日本という国は個人を大事にして成り立った国ではない。
昔から、全体主義の国である。
組織のピラミッドを大事にして、頂点に存在する人には絶対服従する国民性を持っている。
先の戦争でも、部下が上司に意見を言うなんてことはまずない。
もしも意見のようなことを上司が耳にしただけで、ビンタが飛んで来る。
そして、頂点に君臨する天皇を利用して、あのような悲惨な戦争があった。
そんな日本の組織体質を今でも保持しているのに、安倍総理が前川氏に言ったらしい。
直接わたしに言えばよかったのに、などと答えたらしい。
なにおか言わんやです。
昔ほどではないが、現在の日本は今でも全体主義を貫いている。
会社のためなら、なんでも我慢せざるをえないような風潮が残っている。
だから、残業にしても隠すことは当たり前だった。
これまでもずっと電通のような大会社でも、当たり前のように全体主義が大手を振ってきた。
全体主義の社会の中においては、忖度なんて当たり前で、それ以上のことさえ何事もなかったように行われている。
だから今の政治組織の中でも、トップの気持ちを推し量って部下が動くことは普通のことだ。
ところが、会社の場合、そのような内部統制のシステムとして内部通報制度が作られた。 これによって、会社のコンプライアンスを守ることが大事だと受け入れられるようになった。
しかし、政治の中では未だに全体主義だけが独り歩きしている。
政治の中にあっても、おかしいことはおかしいと、声を上げられるようにするべきだと思う。
それに、人事権まで掴まれては、どんな違反や犯罪行為があっても誰も声を上げることはできない。
このことが政治を大きく歪めている。
今後は、政治組織の中でも、官僚制度の中でも、内部から不正や犯罪を通報しても罰せられない、通報制度を導入するべきだと考えます。